救いを得るのに「ふさわしい」人なんていません。【聖書からよもやま話143】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新訳聖書、  使徒の働きの11章です。それではよろしくどうぞ。

◆使徒の働き 11章6節

神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

イエス様の十字架の出来事の後、使徒たちをはじめ、イエス様の弟子たちが活動を始めましたが、その中にはまだ「救いは割礼を受けたユダヤ人にだけ与えられるのだ」と考える人たちがいました。彼らはユダヤ人以外が神様を受け入れて信仰を得たという話を聞いても「彼らは救いにふさわしくない」と言いました。しかし神様は、ペテロの夢に現れて「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」と告げました。つまり「救いにふさわしくない人なんていないのだ。誰もが救われて良いのだ」と言ったんです。
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現代の日本では、人種によって「救いにふさわしくない」と判断されることは少ないかもしれません。でも人種以外のことで、誰かを「救いにふさわしくない」と判断してしまうことは、時としてあるかもしれません。「あの人は品行が良くないから」とか「あの人はまだ聖書の知識が足りないから」とか、理由はいろいろあるでしょうが、とにかく何らかの理由をつけて「救いにふさわしくない」と裁いてしまうことが、あるかもしれません。

しかし、「ふさわしくない」人なんて、いないんです。いえ、むしろ「ふさわしくない」人しかいないんです。「ふさわしくない」なんて言い出したら、すでに救われてクリスチャンとして生活している人にだって、「ふさわしい」人なんて一人もいません。「ふさわしくない」からこそ、神様の救いが必要なんです。「ふさわしくない」人が救われるからこそ、神様の救いは福音、すなわち「Good News」なんです。

「ふさわしい」人だけが救われるなら、それの何が、どこが救いでしょう。ですから救いには「ふさわしくない」人こそ「ふさわしい」んです。

それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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