普段の暮らしではピンとこないけれど、日本国憲法は私たちの日常生活を支えている身近な存在。一人ひとりをまもる日本の最強ルールです。じつは大事な憲法のこと、よく知らずにいてはもったいない。そこで、わかりやすい解説で評判の憲法学者、南野森さんに教えてもらいました。一見難しそうですが、読み始めると大切なことがよくわかるはず。
国家権力のやりたい放題にさせない
憲法とは何か。簡単に聞こえるが、実は答えるのが難しい問いである。そしてまた、多様な角度から回答可能な問いでもある。
よく言われるように、憲法は、国家権力を統制する法である。国家権力とは、簡単に言えば政府であり、国会であり、裁判所である。国家権力は、本来は、国民を守り幸せにするために存在するものであるが、それを実際に動かすのも人間である以上、時に誤り、時に国民を苦しめてしまう。これが国家権力の暴走であり濫用であるが、そういうことが起きないように、憲法は国家権力をコントロールするのである。
別な言い方をすれば、法律は国民にあれこれ命令するものであるが、憲法は、そんな法律を作り押し付ける側にあれこれ命令するものであって、国民にあれこれ命じるものではない、ということになる。
戦前の憲法と戦後の憲法の違いに注目
戦前と戦後の憲法の違いはたくさんあるが、なかでも「違憲審査制」の有無は、制度面での最も重要な違いである。戦前は違憲審査制がなかったから、たとえ憲法に人権が書かれていても、議会がそれを侵す法律を作ってしまえば、誰も何もできなかった。
しかし現在は、いざという時には最高裁が法律を違憲と判断してくれる。法律は国会の多数決で制定されるが、多数決とは要するに少数派の意見を無視するということだから、国会の作った法律が少数派の人権を侵害することがありうるわけである。そのような場合、最高裁の出番となる。民主主義万歳、多数決万歳とはしないのが、戦後日本の立憲主義なのである。
また、戦前には男女平等もなかったし、表現の自由や思想・信条の自由、信教の自由も十分には保障されていなかった。それらが正面から保障され、そして何よりもその根本的理念として、すべての国民が「個人として」尊重される(憲法13条)ようになったのが、戦前と戦後の憲法の思想面での最重要の違いである。
もちろん、現実にはまだまだ男女平等にはほど遠いように、憲法の自由主義、平等主義、個人主義という理念は、この日本社会の隅々にまで十分に行き渡っているとはとても言えない。憲法は福祉国家の理念に基づき、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)をも保障しているが、これまた、いまだに貧困に苦しむ国民はあちこちにいる。
しばしば、戦争放棄と戦力不保持を定める憲法9条(これも戦前と戦後の憲法の大きな違いの一つである)について、理念と現実の差が激しいなどと言われるが、憲法の定める理念が現実になっていないのは、なにも9条に限ったことではない。
たとえば国会議員が憲法に違反したら
刑法に違反すれば逮捕されたり処罰されたりするし、契約に違反したり他人に損害を与えたりすると裁判で賠償金の支払いを命じられたりする。では、憲法に違反するとどうなるのだろうか。
実は、国家権力が憲法に違反しても、誰かが刑務所に入ったり、誰かが損害賠償責任を負ったりすることはまずない。これも法律と憲法の大きな違いであるが、憲法には、その実効性を担保するための強制的な手段がほぼ存在しないのである。
いや、違憲審査制があるではないか、と思った読者もいるかもしれない。たしかにそうであるが、しかし、最高裁がある法律を違憲と判断したからといって、それだけでその法律が消えてなくなるわけではない。国会が違憲判決を無視すれば、その法律はそのまま残り続けることになる。NHKのドラマ『虎に翼』でも描かれた尊属殺人事件のモデルとなった1973年の判決で、最高裁は刑法200条の「尊属殺人重罰規定」を憲法14条違反と判断した。しかし、自民党内に同規定の削除に強く反対する人々がおり、国会はなんと22年間も刑法200条をそのまま放置してしまった。
さすがにこれは過去の例外的な話であるが、近年でも、2023年の「性同一性障害特例法」の違憲決定からもうすぐ3年になるのに、国会は同法をいまだに改正していない。
憲法の理念や憲法の規定を国家権力に守らせるという立憲主義の課題は、なかなか実現の難しいものである。違憲判決が出てもそれが政治部門に守られないことがあるのみならず、裁判部門が政治部門に遠慮して違憲判決を出さなかったり、そもそも、あれやこれやの訴訟法上の理屈により裁判の対象にならない憲法問題も数多くあるからである。裁判の対象になったとしても、やはりあれやこれやの理屈で裁判所が正面からの憲法判断を避けることもしばしばある。
たとえば、憲法53条後段には、衆参いずれかの議院の4分の1以上の議員が要求すれば、内閣は臨時国会の「召集を決定しなければならない」と書いてあるが、2017年、当時の安倍内閣はこの要求を3ヶ月も無視し続けた。のちに訴訟になったが、最高裁は、2023年、違憲かどうかには触れず、原告の上告を棄却した。
さらに、内閣が自分の好きな時に衆議院を解散できるという「解散は首相の伝家の宝刀!」といった昨今のおかしな運用は、憲法上の根拠がなく、解散権の濫用だという批判も学説には存在する。しかし、特定の解散が違憲か合憲かの争いは、なかなか訴訟にはできず、最高裁の判断も望めない。
理想を捨て去るのではなく、現実を少しでも理想に近づけよう
このように、国家権力を憲法で統制するのは、言うは易し行うは難し、であって、結局は、国家権力を行使する人々(政治家や役人、裁判官など)が、どこまで「この憲法を尊重し擁護する」(憲法99条)つもりがあるか、に依存する。
国家権力が濫用され暴走しないように監視する役割を担うのは、第一に野党議員やマスコミ、そして専門家であろう。しかし、それだけでは足りない。野党議員やマスコミ、そして専門家を応援する国民が必要である。はたして政府や与党は憲法の理念を実現しようとしているか、憲法の規定を守っているか。そして野党議員やマスコミ、また専門家は、きちんと国家権力を監視しているか。国民が、国家権力を監視し、そして国家権力を監視する役割の人々をも監視しなければ、その国の国家権力は、やりたい放題である。
憲法12条前段には、そのことが明確に書かれている。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」、と。
憲法をめぐり、なにやらざわついてきた昨今の政治状況である。国民一人ひとりが、憲法について学び、考えることが重要となっている。
【あわせて読みたい】
『改訂新版 10歳から読める・わかる いちばんやさしい日本国憲法』 南野森 監修 東京書店(2026年6月)

子どもにも理解しやすい言葉で、日本国憲法の定義や意義、主要条項の成り立ちや考え方など詳しく解説した入門書。「国民主権」、「平和主義」、「国民の権利と義務」など、小学6 年生の公民分野の授業内容を中心に要点を絞ってまとめている。好評を博した2017 年の初版から最新情報を加えてリニューアルした改訂新版。憲法カフェのテキストに、また今さら聞けない大人の学び直しにもおすすめ。

みなみの・しげる 京都市生まれ。洛星中・高等学校、東京大学法学部を卒業後、同大学大学院法学政治学研究科、パリ第十大学大学院で憲法学・法哲学を専攻。2002 年、九州大学法学部助教授。2014 年、同教授。当時アイドルグループ「AKB48」のメンバーで現役高校生であった内山奈月への憲法講義をまとめた『憲法主義』が話題に。近年は、憲法学の講義をYouTubeで公開している。また、月刊誌『福音宣教』(オリエンス宗教研究所)にてエッセイ「京・江戸・博多、そして巴里」を連載中。
出典:公益財団法人日本YWCA機関紙『YWCA』2026年6月号より転載

YWCAは、キリスト教を基盤に、世界中の女性が言語や文化の壁を越えて力を合わせ、女性の社会参画を進め、人権や健康や環境が守られる平和な世界を実現する国際NGOです。
