連載・コラム

並べ替え条件
新しい順
古い順
閲覧数順
    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月3日「浮浪者のように生きる」

    想像力を駆使して、イエスを捉え直すことは、非常に難しい。イエスはご自身を「人の子」と呼び、十字架に架けられ血を流した…

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月4日「聞く耳」

    「聞くこと」についてのたとえ話は「聞く耳のある者は聞きなさい」という唐突な結論で終わる。

  1. image
    • 聖書からよもやま話連載・コラム

    教会は建物ではありません【聖書からよもやま話474】

    ホテルや結婚式場にはチャペルがあって、それを「教会」と呼んだりしますが、チャペルというのはあくまで建物のことです。し…

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月5日「取り散らかした家族の部屋」

    黙示録に記されている教会は「ビクトリア時代の応接間」のようなものではない。つまり「お客を迎えるべく全てが常に整理整頓…

    • 連載・コラム

    第4章 牧師を志す者たちへ 「主の召し」を検討すべし 細川勝利 【ジセダイの…

    安易に伝道者になるな若い伝道者が戦列から離れることがないためにと言いながら、戦列を離れるどころか、戦列に加わるなと言…

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月6日「裏切られた期待」

    「期待が裏切られた」といって、教会への大きな怒りを覚える ―― そんなことがある。教会への失望のほとんどは、教会への期待…

    • 連載・コラム

    なぜ人は「神の似姿」に? 山元 眞 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ…

    Q.神さまはなぜ人を「神の似姿」に創る必要があったのでしょうか?(60代・女性)愛には計算がありません。神さまに必要…

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月7日「生ける神に目を注ぎ」

    クリスチャンは神の臨在の内に自分もいると確信して礼拝をする。生ける神が支配し、語り、啓示し、創造し、贖い、命じ、祝福…

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月8日「礼拝の怠り」

    神は礼拝の中でその民を集める。礼拝の中心にいます神ご自身の所へと、民は呼び集められる。

  2. image
    • 聖書からよもやま話連載・コラム

    神様を恐れすぎてはいけません【聖書からよもやま話475】

    確かに「主を恐れることは知識の初め」と箴言には書いてありますから、神様を恐れることも大切なことです。でも恐れるばかり…

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月9日「神の民は歌う」

    聖書のいたるところに歌がある。神の民は歌う。

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月10日「教会は罪人を集める」

     キリスト教を信じる人々が教会に集うと、遅かれ早かれ上手くいかない事態が起こったりする。

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月11日「明確な自己理解」

     「よき死を迎えられる備えの支援」は、もう何世紀もの間「牧師の任務」とされている。それは今も変わらず、牧師が目指すべ…

  3. image
    • 聖書からよもやま話連載・コラム

    裏金政治家でさえきっと「清く正しく美しく」ありたい【聖書からよもやま話476…

    人は清くありたい。正しくありたい。しかし世が、環境が、さらには自分の欲望が、清くあることを許さない。そんな葛藤を誰も…

    • 連載・コラム

    フランスの「セクト」対策に新展開? 概念の拡散とライシテの権威主義化 田中浩…

    2001年の「セクト規制法」制定以降、フランス社会の関心はイスラームに移り、「セクト」が話題になることは減った。だが…

    • 連載・コラム

    第5章 赴任先は条件次第? 信仰によって現実を克服する 細川勝利 【ジセダイ…

    条件を考えない我々、伝道者は、常々講壇からすべての必要は神が知り、満たしてくださるから、何も思い煩うことなく主に信頼…

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月12日「応答としてのスピーチ」

    言語とは、そもそも対話であって一方通行のものではない。神は救いの物語の中で救いを登場人物に押し付けることはしない。

    • 連載・コラム
    • 聖書に生きる366日

    3月13日「自分の声は対話の中で」

    どこでも、いつでも、祈りは応答のスピーチである。祈りとは、わたしたちが決して話しかけるスピーチではない。

    • 連載・コラム

    お祈りで目をつぶるのはなぜ? 山元 眞 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&#…

    Q.お祈りする時になぜ目をつぶるのですか?(10代・女性)なぜでしょう。そのような「決まり」になっているからでしょう…

    • 連載・コラム

    台湾社会におけるキリスト教の認識 清朝末期から日本統治初期の歴史的考察 王 …

    これまで台湾キリスト教史や日台キリスト教ネットワークついて触れてきたが、今回は、清朝統治末期の台湾社会がどのようにキ…






メルマガ登録

最新記事と各種お知らせをお届けします

プライバシーポリシーはこちらです