3月10日「教会は罪人を集める」

キリスト教を信じる人々が教会に集うと、遅かれ早かれ上手くいかない事態が起こったりする。教会の部外者はこれを見て「教会はビジネスと少しも違わない」と結論付けるかも知れない。 ―― つまり「教会は、結局、いかがわしい生業(なりわい)と同じだ」と考える。しかし、教会内部の人であれば、それとは違った見方をする。丁度、教会は「病院」と同じだと考える。つまり「病院」は一つの屋根の下に患者を集め、その人々を「病人」として取り扱う。それと同じように「教会」は「罪人」を集めるのである。「病院」の外には多くの人がいるが、そのほとんどが「病院」の中の人々と同じように「病人」である。ただ、その「病気」が診断がされていないか、あるいは隠されているに過ぎない。同じように、「教会」の外にいる人々も、教会の中の人々と同じく「罪人」である。

もし「自分たちは罪と無関係だ」と言い張るならば、その時、わたしたちは、自分を馬鹿にして騙しているに過ぎない。それは常軌を逸した無意味な言葉である。しかし他方、もし、「自分たちには罪がある」と認めるなら ―― つまり罪を完全に打ち明けるのなら ―― 神はわたしたちを失望させる方ではない。神はご自身に誠実であり続ける。神はわたしたちの罪を赦(ゆる)し、あらゆる悪行を全て洗い流してくださる。
―― ヨハネの手紙(一)1章8~9節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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