5月10日 民数記6章24〜26節

 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主があなたに御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。
民数記6章24〜26節(参考箇所同書6章22〜27節)

アロンの祝福として知られている言葉です。祝福には、そこを切り分けて聖別するという意味があります。人間の営みではないということなのです。そこだけは神の営みであるといってよいのです。このアロンの祝福をよく読んでみると「あなた」と単数であることに気付きます。祝福の対象であるイスラエルの民たちは大勢でありながら、一人一人が祝福による聖別に与っていることになります。

わたしたちも、この祝福を礼拝の終わりに受けることがあるでしょう。礼拝に集まった大勢に向かって祝福がなされるようでありながら、実は一人一人のための祝福となっています。祝福を受ける立場からいえば、わたし一人のために祝福がなされていることになります。

しかも祝福されることは、それを受ける者の資格条件を必要としません。努力を重ね、条件を満たしたので、それに基づいて祝福がなされることはないのです。神御自身の名によって祝福はなされるのですから神の営みです。受ける者は、祝福を受けるにはあまりにも俗なるところに身を置き過ぎておののくばかりです。しかしながら、そのわたしが神の名のもとに切り分けられて聖別されているのです。ひたすら恵みという他はありません。

同時に、これはキリスト者一人一人に通じる優しさの精神です。譲る、思いやる、もてなす、いたわる、これらは現代社会が求める優しさです。優しさをほんの少しでも分かち合うことができれば、どれほど社会を潤すことか、優しさを貰った者はよく知っています。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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