「ウィンウィン」から拭い切れない違和感 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

初めて「ウィンウィン」という言葉を聞いたのはおそらく数年前、ある当時の教会の伝道師からだったと思います。「両方とも勝ち」という意味ですね。しかし、聞いた最初から違和感のある言葉でした。

2019年11月、ある発達障害のセミナーへ行きました。そこは私のような当事者が行くところではなく、企業の人事の人など、雇う側の人が行く勉強会でした。事前に集められた質問が資料に載っており、私の質問も2問、載っていました。そのうちのひとつで「障害者の特性を活かして仕事ができれば、企業にとっても障害者にとっても『ウィンウィン』であると考えられるが、実際にはそういう事例は稀ではないか」というものがありました。たしかにそういう例はわざわざテレビ番組になるほど稀であり、多くの企業は障害者に「つまらない仕事」をさせて法定雇用率を満たしているに過ぎません(満たしていない企業も多い)。しかし、ともかくそのころすでに「ウィンウィン」という言葉は一般的な言葉でした。

どうも「ウィンウィン」という言葉が好きになれない理由として、「利害関係が含まれる」というものがあるのではないかと思います。私と「ウィンウィン」の関係にある友だちがいます。しかし、その人と私を結び付けているものが、ほんとうに「友情」だけなのかというのは疑わしいなあ、と時々感じています。その人は私の特殊能力を「利用」し、私はその人の知名度を「利用」しているという面があるのではないか。もちろん純粋な友情の面も大きくある大切な友だちです。たくさん助けてもらっていますし、私も少しはその人を助けているだろうと思います。でも、どうしても利害関係の面が何パーセントかはある気がしてしまうのです。

よく「先生とお話をすると、得るところが大きいです!」という言いかたをします。その先生を「立てた」言いかたです。しかし、これって、「その先生からなにかを得るために話をしている」ということにはならないでしょうか。つまり、損得でお話をしている感じがする、ということが言いたいのです。その先生からしてみると「オレから何かを『得る』ためにオレと話をしているのかよ。単に楽しいからしゃべっているわけじゃないのかよ」と思われるかもしれません。やはり、「しゃべっていて楽しい」という要素だけではなく「得るところがある」、すなわち利害関係の要素が含まれる形になります。

「ウィンウィン」という言葉を聞くと、こういうことを考えてしまうので、どうも好きになれない言葉であるわけです。どうしても純粋な友情だけではないと考えられる。損得勘定が入るようです。「ウィンウィン」の関係は、お互いにとっていいことばかりのようですが、そもそも友情というのは「得しかしない」ということはあり得ないわけです。人間対人間ですから、いろいろなぶつかり合いもあります。これ、初めてこの言葉を聞いたときからの違和感でしたが、言葉にするのに時間がかかりましたね。いまごろ言葉になりました。

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腹ぺこ

腹ぺこ

発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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