神様から預かるクレジットカード【聖書からよもやま話329】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ヤコブの手紙の4章です。よろしくどうぞ。

ヤコブの手紙 4章3節

求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

マタイの福音書7章7節の「求めなさい。そうすれば与えられます」ということばは、クリスチャンにはもちろん、ノンクリスチャンの方々にも広く知られていて、それを座右の銘のようにして生きる方も少なくありません。僕の通っていた中学校は普通の公立中学でしたが、廊下にこのことばが飾ってありました。

しかしこのヤコブの手紙には求めても与えられないこともあると書いてあります。それは自分の快楽のために求める場合です。「世の価値を充足するため」と置き換えても良いかと思います。自分の立身出世のためだとか、家の繁栄のためだとか、会社の売上のためだとか、それらはみんな「世の価値」です。神様が「求めなさい」と言っているのは「神の義」のためのものです。

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UnsplashVan Tay Mediaが撮影した写真

たとえば親が、大学生になった子に「必要なものはこれで何でも買いなさい」とクレジットカードを預けたとします。これでその子は「求めれば何でも与えられる」状態になるわけですが、だからと言ってそのカードを使って豪遊なんてしたらいけません。ここで親が想定している「必要なもの」とは「大学での学業に必要なもの」や、「大学生活を維持するために必要なもの」です。神様が「求めれば与えられるよ」と言ってくださっているのも、これに似たようなことです。僕たちクリスチャンは神様からクレジットカードを預けられているようなものなんです。

クリスチャンの方にもときどき「求めれば与えられるんだよ!」と、明らかに自分の欲望に過ぎないものを求めている人がいます。「欲望」と言っても、そこに必ずしも悪意があるわけではなく、大抵の場合はむしろ無邪気に求めているだけなのですが。しかし無邪気だからこそ、大きな落とし穴であるとも言えます。人は無邪気なままで神様の愛に背いてしまう事があるということですから。「友達が欲しいって言ったから宝石を買ってあげたー」なんて、無邪気なままで、的外れなクレジットカードの使い方をしてしまう学生のようなものです。

神様に求めるべきものはあくまで「神の義のため」のものであって、自分のためや人のためのものではありません。「大切な人のために」「恵まれない人のために」というのは無邪気で美しくはありますが、やはり少々的外れです。「神の義のため」のものを求めるなら、自ずと「自分のため」も「大切な人のため」も「恵まれない人のため」も満たされるんです。どんなものを求めるにせよ、「神の義のため」を忘れてはいけないんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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