教会は建物ではありません【聖書からよもやま話474】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、エペソ人への手紙の1章です。よろしくどうぞ。

 

エペソ人への手紙 1章23節

教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ホテルや結婚式場にはチャペルがあって、それを「教会」と呼んだりしますが、チャペルというのはあくまで建物のことです。しかし教会とは建物のことではありません。教会というのは「キリストのからだ」であり、それは「神様を礼拝する人たちの共同体」とも言えます。つまり教会とは「人の集まり」であって、建物ではないんです。

いくら立派なチャペルがあっても、そこに「神様を礼拝する人たちの共同体」がなくてはそれは教会とは呼べません。ただ人が集まっていればいいわけではありません。その建物で結婚式が行われて人が集まっていたとしても、それは「結婚を祝福する人」の集まりであって「神様を礼拝する人」の集まりではありませんから、それも教会とは呼べません。

反対に、建物が何もなくて、ただの広場であったとしても、そこに「神様を礼拝する人」が集まって礼拝と祈りを行なっているなら、それは教会であるとも言えます。教会は神様から人に与えられたものであって、人が作るものではありません。

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UnsplashBrandon Morganが撮影した写真

人の体は「細胞の集まり」ですが、それぞれの細胞は互いに関連しながらそれぞれ別々の働きをし、一つの「人間」なり「生命体」を維持します。単に細胞が集まっただけでは生命体にはなりません。必要な細胞が過不足なく集められ、互いに関連しながら働く必要があります。つまり人の体は単なる「細胞の集まり」ではなく、「細胞の共同体」だと言えます。教会もこれと同じです。単に人が集まるだけではなく、互いに関連しながらそれぞれ別の働きをして一つの「教会」となります。この「共同体」の有無が教会とそれ以外の集団との違いです。

・・・と、少々話がややこしくなりましたが、とりあえず教会とは建物のことではないのだと、それだけ覚えていただければ、後のことはいずれついてくると思います。教会を守るとは、建物を維持することではなく、共同体を維持することです。

 

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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