3月12日「応答としてのスピーチ」

 

言語とは、そもそも対話であって一方通行のものではない。神は救いの物語の中で救いを登場人物に押し付けることはしない。その物語の中に生きる登場人物たちからの応答を受けるために、神は語る。その物語の登場人物の一人ひとり(わたしたち一人ひとりもその中にいる)の性格は、その内側から湧き上がる「思い」によって形成される。その「思い」は受け答えをする「対話」の内に湧き上がってくる。それぞれの登場人物のリズムとぺースで湧き上がってくる。神がわたしたちに語りかける救いの世界の中にわたしたちがいる。それでは、わたしたちはどう応えたらいいのだろうか? ―― 実は、わたしたちはこの言葉が上手く使えないのである。神への応答の言葉を学ぶ際に、詩編が役に立つのである。詩編に没頭することで、わたしたちは教えと訓練を受けることが出来る。その時、わたしたちは神との対話の中に引き込まれ、わたしたちの言葉はその一部となる。その過程を通して、わたしたちは成熟する。わたしたちは「神の像(かたち)」を持ち「キリストの血によって贖(あがな)い」を受けていると、教会は教えている。わたしたちが詩編に没頭する時、その事はわたしたちの内側で事実となり、そのようにしてわたしたちは成熟するのである。

耳を傾けてください。
神よ! わたしに目を留めてください!
このうわごと、
 わたしの呻きや叫び声を理解できますか?
王なる神よ! わたしはあなたの助けを求める。
毎朝、あなたはわたしに再び聞いてくれるだろう。
毎朝、
 わたしは自分の人生の断片をあなたの祭壇に並べ
火が降りてくるのを待つ。
―― 詩編5編1~3節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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