3月11日「明確な自己理解」

「よき死を迎えられる備えの支援」は、もう何世紀もの間「牧師の任務」とされている。それは今も変わらず、牧師が目指すべき大切な目標である。しかし、「死そのもの」が真の不条理なものではない。むしろ、大勢の人々が送っている「悲惨な人生」こそ、真の不条理なのである。牧師は人々の力となり、その悲惨な人生を話す手助けをする。牧師は、人々が自分達の人生の出来事を上手に話し、その人達の明確な自己理解に気づくことを手助けする。

人々はそれぞれ、その人生の一時一時を生きる中で、実際の出会いや出来事を体験している。その中で、その人生が意味を持ち、意義深いものがあったことに気づくよう、わたしたち牧師は支援している。ベツレヘムにおいてさえ、「日常的」な事柄に渇望している牧師は、他者においても同様の欲求を生み、思いもしない所に意味があると気づかせ、家の中や大衆の目に触れない近所の場所でドラマを発見させ、自分たちの親と子どもたちにも救いの絆があることを知っている。

ヘロデは町にいる祭司長や宗教学者を全て集め、そして彼らに尋ねた。「メシアは何処に生まれることになっているのか」彼らはヘロデにこう言った「ユダヤの領地ベツレヘムです。」預言者ミカがこう明確に記している。
「それはあなただ。ユダの地にあるベツレヘム
もうこれからは
 人の後について行く つまらぬ役から解放されて
あなたの中から指導者が出る。
 わたしの民の 牧者が出る
 わがイスラエルは 指導者を得る。」
―― マタイによる福音書2章4~6節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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