3月4日「聞く耳」

「聞くこと」についてのたとえ話は「聞く耳のある者は聞きなさい」という唐突な結論で終わる。「聞くこと」についての譬(たと)え話を、全ての譬え話の最初に持って来ることにおいて、聖マタイと聖マルコと聖ルカは合意している。神の言葉が最優先ならば、人間が聞くことは不可欠である。わたしたちは「聞くこと」が求められ、「聞き方」が重要なのである。「耳」を土の譬えにした話がある。それは自分自身の「聞く力」を確かめるための素晴らしい道具として、わたしたちに提供されている。わたしの聞く能力はどれほどのものだろうか? わたしの耳は色々なタコで一杯になっていないだろうか? ―― つまり、どうしても通り抜けが出来ない渋滞した道路のように、わたしの耳はなっていないだろうか? わたしの耳は岩地のように、浅薄な聞き方にとどまっていないだろうか? ―― つまり、何でも直ぐに発芽するが、どれもが根を張ることがない、そのような耳になっていないだろうか? わたしの耳は無分別に生え出てきた雑草が重なり合っているような耳になっていないだろうか? ―― つまり、真理であるか・質はどうか・美しいか・実り豊かであるか、ということに全く興味を持つことなく、やかましく、繰り返しだけが占めている畑のような耳になっていないだろうか? わたしの耳は、よい土のようになっていないだろうか? ―― つまり神の言葉を受け入れる準備が整っていて、深く根を張ることが出来るようよく耕され、注意深く神の言葉を選び出して世間の嘘を拒み、聞くという賜物を沈黙と敬虔(けいけん)と集中力をもって保持し活用し、聞いたことに関しては強い責任感を持っている、そのようなよい土のように、神の言葉を聞き取り、理解し、信じて行く、そのような耳になっているだろうか?

このことを、きちんと聞いているか?
本当に聞いているのか
―― マルコによる福音書4章9節

 

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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