第5章 赴任先は条件次第? 信仰によって現実を克服する 細川勝利 【ジセダイの牧師と信徒への手紙】

条件を考えない

我々、伝道者は、常々講壇からすべての必要は神が知り、満たしてくださるから、何も思い煩うことなく主に信頼しようと語っている。語るだけでなく、もちろん掛け値なく信じていると自認している。

しかし、具体的に教会からの招聘について話が進むにつれ、さまざまな条件面の話になる。そのとき、招聘する教会の責任と誠意の現われとして、住居や謝礼について明示することは当然である。他方、招聘される伝道者は、実際の生活が可能かどうかを考えることも、家族に対する責任から当然と言えよう。だから、夫婦で話し合い、心配したりすることはあってもいい。

しかし、その条件面で主の導きかどうかを判断するとしたら、講壇から語っている、主がすべての必要を満たしてくださるという信仰はどこにいったのか。主の導きかどうかは、要は、具体的な条件次第になってしまう。

だから、不安になったり、心配になる現実を直視して、そこから信仰を働かせてさまざまな条件は主に委ね、主が満たしてくださると信じることが肝要である。

かつて、モーセにカナンを探るよう遣わされた12人の族長たちは、カナンの現状に対する認識は同じであった。ところが10人は、その現実で進むことは不可能と判断し、カレブとヨシュアの2人は、その現実に対して主への信仰を働かせて、進むべきだと判断したではないか。

我々伝道者が他者に関わるときは信仰を求め、自らに関わることで信仰を働かせて生きなければ、結局はみ言葉に仕える働きは虚しい絵空事の茶番に終わるのである。だから伝道者は、教会から提示される種々の条件を聞いたとしても、それで導きかどうかの判断をせず、それでこそ信仰を働かせて、信仰を持って教会仕えることを確認すべきである。

不信仰による自己矛盾

かく言うのは、小生がこの件で失敗したからである。先年、とある教会に導かれたとき、教会の現状からして生活のためには働かなければならないと判断していた。それも地方伝道の現実であり、地方で仕える伝道者の苦闘の一端でも味わうことになると考えていた。

前任教会を離れる少し前、神学校の後輩が別れに来てくれた。そして彼が経済的にどうするのか尋ねたので、仕事をするのも止むなしかと考えていると話した。すると彼は、間髪入れず、「細川さん、いつも細川さんが後輩に言っていることと違うじゃないですか。すべて主が必要を満たしてくださるから心配するなと言っているでしょう」と言ったのである。

瞬間的に、小生は彼がまさに天の使いだと思い、「分かりました。またまた矛盾の細川を繰り返すところでしたが、本当にいつも語っているように、実際に生きるチャンスが与えられたと信じ、主に任せて生きてみます」と答えたのである。まさに、不信仰によって矛盾した生き方をする危機一髪のところを、天使によって助けられたのである。

もちろん、働きながら伝道するのが不信仰と言っているのではない。小生の場合はそれが不信仰であり、語っていることと矛盾することが教えられたということである。だから重要なことは、現実によって信仰の内容を変えるのではなく、信仰によって現実を克服することである。そういう意味で、伝道者は条件を云々する必要はないというのである。

(つづく)

ほそかわ・しょうり 1944年香川県生まれ。東京で浪人中、63年にキリスト者学生会(KGK)のクリスマスで信仰に導かれる。聖書神学舎卒後、72年から日本福音キリスト教会連合(JECA)浜田山キリスト教会、北栄キリスト教会、那珂湊(なかみなと)キリスト教会、緑が丘福音教会、糸井福音教会、日本長老教会辰口キリスト教会、パリ、ウィーン、ブリュッセル、各日本語教会で牧会。著書に『落ちこぼれ牧師、奮闘す!』(PHP出版)、『人生にビューティフル・ショット』『21世紀をになうキリスト者へ』(いのちのことば社)など。

【ジセダイの牧師と信徒への手紙】 第4章 牧師を志す者たちへ 「主の召し」を検討すべし 細川勝利 2014年5月3日

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