【クリスチャンビギナーズ第5回】お節料理にお年玉・・・クリスチャンのお正月ってどんな感じ?

新年おめでとうございます。
こんにちは。新米クリスチャンのカサイです。今日もお目に留めていただき、ありがとうございます。
今年のお正月は、いかがお過ごしでしょうか。

この時期になると、クリスチャンではない友人からよく受けるのが、お正月にまつわる質問あれこれ。私自身も、洗礼を受けるまでは同じように疑問を感じていました。そこで今回は、そんな疑問にお応えしてみたいと思います。

※宗派や教派、ご家庭によっていろいろルールがあるかと思うので、あくまでもこれは一例です。

お節料理の中ではちょろぎが好きです。

■お正月、何してるの?

元旦礼拝(すべての教会で行われているわけではありません)に参加する方がいる一方で、家族とこたつで箱根駅伝やお笑い番組を見たり、初売りや福袋を楽しみにしているという方も少なくないよう。私も自宅でのんびり派。今年は特に、インドア派が多いかもしれませんね。

■お節料理やお雑煮は食べる?

お正月のごちそうといえば、お節にお雑煮! 和食は日本が世界に誇る伝統的な食文化でもありますし、おいしくいただきます。(お酒もいただきます!)
ただし、キリスト教には“縁起”や“ご利益”という概念がないので「黒豆=邪気払い」、「きんとん=金運を招く」、「数の子=子孫繁栄」などなど、それぞれに込められた意味を考えながら食べることはしません。

■門松やしめ飾り、鏡餅は飾る?

私は飾りません。
もともと、門前や玄関に飾る門松やしめ飾り、鏡餅は、神道における神祭具。お正月に各家庭に幸せをもたらす「歳神(としがみ。年神とも書く)」を迎えるため、あるいはお供えするために飾るといわれています。
聖書では、神様以外のものを崇(あが)めることはNGとされているので、おそらく多くのクリスチャンは飾らないのではないかなと思います。

■お年玉はどうするの?

個人的に、お年玉がないお正月なんてありえない!と思うので、子どもに会う機会があればあげます。
もともとお年玉には、歳神の生命を子どもたちに分け与えることで、子どもたちがすくすくと成長するようにという願いが込められているそうです。
なので、中には厳密に神道につながるものを避け、「お節も食べないし、お年玉もやらん!」というクリスチャンの方もいるかもしれませんが、日本においてキリスト教はまだまだマイノリティ。親戚一同クリスチャンという家庭は少ないことでしょう。そんな中で、周りの子どもたちがみんなお年玉をもらっているのに、自分だけもらえなかったら、きっとすごく悲しいし、疎外感を覚えると思うのです。子どもの笑顔を奪うくらいだったら、あげてもいいんじゃないかなぁというのが私の考えです。

そもそも、お年玉の意味を理解している日本人ってどれくらいいるのでしょう。

■初詣には行く?

初詣も、聖書的にNGだからと行かないという人が多いかもしれませんね。といっても、単に神社仏閣の境内をお散歩したり、寺社建築や装飾を眺めるだけなら、問題なかったりします。
ちなみに私は人混みが苦手なので、初詣はクリスチャンになる前から敬遠しがちですが、歴史的な建造物や宮大工さんの繊細な技術に触れるのは大好きです。

先ほども書いたとおり、聖書でNGとされるのは、神さま以外のものを崇めたり、拝んだりすること。旧約聖書にはこんな風に書かれています。

あなたは自分のために彫像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水にあるもの、いかなる形も造ってはならない。それにひれ伏し、それに仕えたりしてはならない。
[‭‭出エジプト記‬‭20:4-5 聖書協会共同訳‬‬‬‬]

ついでに、おみくじを引いたり、御守りや破魔矢を買うこと、お祓いをしてもらうのもNG。

あなたの中に、自分の息子や娘を火にくぐらせる者、占い師、卜占(ぼくせん)する者、まじない師、呪術師、 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。 これらのことを行う者をすべて、主は忌み嫌われる。これらの忌むべきことのゆえに、あなたの神、主は諸国民をあなたの前から追い出される。
[‭‭申命記‬‭18:10-12‬ 聖書協会共同訳‬]‬‬‬

クリスチャンの生活は「聖書」が中心にあるので、これは“アリ”か“ナシ”か迷ったときは、聖書にはどう書かれているかが基準になります。

本来、初詣はその土地の守り神である「氏神様」にご挨拶に行くのが目的だそうですよ。

余談ですが以前、ある神社で出会ったフランス人の青年に、おみくじの引き方を教えてほしいと頼まれたことがありました。目をキラキラさせながらおみくじを指す彼に対して「クリスチャンだからそれはちょっと・・・」なんて断ることはできず、「このBoxをShakeするとStickが出てくるから、numberを見て・・・」とほぼ日本語でレクチャー&おみくじの内容を解説し、最後は一緒に境内に結んで、笑顔で別れたのでした。

しかし、主はサムエルに言った。「容姿や背丈にとらわれてはならない。わたしは彼を退ける。私は人が見るようには見ないからだ。人は目に映ることを見るが、私は心を見る。」
‭‭[サムエル記上‬‭16:7‬ ‭聖書協会共同訳‬‬]

私の行いは、クリスチャンとしては失格だったかもしれません。でも聖書のこの箇所によると、神様が何よりも大切にしているのは心。
お節を食べようと、お年玉をあげようと、おみくじの引き方をレクチャーしようと、常に神様に心を向けていることが大切なんだと思うのです。

おっと、話が逸れてしまいました。
こんな拙(つたな)い連載にお付き合いくださり、ありがとうございます。

2021年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまに神様の祝福がありますように!

 






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