親の罪の責任を子に負わせる統一協会【聖書からよもやま話243】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の79篇です。それではよろしくどうぞ。

◆詩篇 79章8節

先祖たちの咎を
私たちのものとして思い出さないでください。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

「末代まで恨んでやる!」なんていう恐ろしい言葉は昔からあります。親に悪いことをされたのを、子や孫に復讐することは、現代の法体系が成立する近代まではどこの国でも珍しいことではありませんでした。もちろん、現代の少なくとも日本の法律では親の犯罪行為の責任が、子や孫に問われることはありません。犯罪はあくまで個人のものであり、子孫に継承されるものではありません。

反対に、神様からの恵みを受けることについても同じです。親が信仰を持ち、洗礼を受けたからと言って、その信仰は自動的に子に継承されるわけではありません。子は子で、自分の意志で親とは関係なく信仰を持ち、洗礼を受けなくてはなりません。

正統なキリスト教はこのように、罪も恵みも個人のものであり、親から子へ引き継がれるものではないと考えます。しかし、今話題になっている統一協会ではそうではないようです。「日本は過去に悪いことをした悪い国(エバ国家)だから、その国民である日本人は誰もが、良い国である韓国(アダム国家)のために贖罪をしなければならない」と、これが統一協会の教えの一つであり、これによって同じ統一協会の信徒であっても、日本人信徒は韓国人信徒に比べて法外な額の献金を求められ続けてきました。たとえば有名な合同結婚式の参加費は、日本人は140万円、韓国人は14万円だったそうです。
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つまりこれは「親や先祖の罪の責任を、お前が負え」という理不尽を言っているんです。百歩譲って「わかりました。先祖や親の責任を私が負いましょう」と言ったとして、そんなことは本当に人間にできるでしょうか。人間は限られた時間しか生きられません。自分がまだ存在する前の出来事の責任をとることなんてできるでしょうか。それは親や先祖に対する、さらには神様に対する越権行為だとは言えないでしょうか。人間は自分の責任ではないことの責任は負わなくても良いのですし、むしろ負ってはいけないのです。ましてそれを「親の罪の責任をお前が負え。だから私のいうことを無条件で聞け!」なんて強要することはイエス様の贖罪の完全否定であり、即ち神様に対する明らかな冒涜です。

キリスト教が「人は生まれながらに罪人である」というのは、生まれながらに罪の責任を負っているという意味ではありません。そうではなく、生まれながらに罪を犯してしまう性質を持っているという意味です。まして先祖や親の犯した罪の責任を負って生まれてくるわけではないんです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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