喉もと過ぎれば熱さを忘れて気づけば自分が煮湯になって【聖書からよもやま話242】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書 エレミヤ書の34章です。それではよろしくどうぞ。

◆エレミヤ書 34章11節

しかしその後で、彼らは心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻し、強制的に彼らを奴隷や女奴隷の身分に服させた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

神様はイスラエルの民たちに「奴隷は6年働かせたら解放しなければいけない」と命じていました。バビロニアとの戦争で国が危機に立たされた時、彼らは自分たちがその約束を守っていないことに気づき、奴隷を開放しました。しかし国の危機が去ると、彼らは「やっぱり奴隷が惜しい」と、一度解放した奴隷をまた連れ戻して働かせてしまいました。これをみた神様は怒って、「君たちはもうバビロニアに滅ぼされることにする」と宣言し、実際にその通りになりました。

「苦しい時の神頼み」とか「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」といった言葉を思い出させるようなエピソードです。人間は苦しい時は神様に頼り、「あなたに従います」と言いますが、その苦境から解放されると神様のことを忘れて元の生活態度に戻ってしまったりします。

創世記の時代、彼らの先祖はエジプトの奴隷でした。エジプトのファラオはモーセから「彼らを解放してください」と言われ、また神様から様々な災厄を下されて、「わかった。もう君らを解放する」と言いましたが、あとから「やっぱり惜しい。解放するのやめた」と、一度解放した民を軍に追わせました。彼らは自分たちで、そのファラオと同じことをしてしまったんです。喉もと過ぎて熱さを忘れただけでなく、自分たちがその熱さをもたらす煮湯になってしまったんです。
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僕たちもかつて人から受けた悪い仕打ちを、いつしか自分が人にしてしまっていることに気付かされることがあります。たとえば、かつて自分が学校でいじめられて嫌な思いをしたのに、転校したり進学したりして環境が変わったら自分がいじめる側に立ってしまっていたり。子どもの頃に親の不倫で嫌な思いをしたのに、大人になったら自分が不倫をして子どもに嫌な思いをさせていたり。先生が怒鳴るのをとても恐ろしく思っていたのに、自分が部下を怒鳴るようになっていたり。僕たちもまた、喉もと過ぎて熱さを忘れるばかりか、自分たちが煮湯になってしまう者なんです。

人間ってそういう弱みや愚かさを持っているものです。自分だけはそういう「弱い者」や「愚かな者」にはなるまいと思うよりも、まず自分がそういう「弱い者」や「愚かな者」であるということを認めることが大切なのだと思います。「ああはなるまい」と思っている限り、その問題は他人事でしかありません。「自分もまた、そうなのだ」と思うときに、その問題は自分の問題になります。

きっと彼らもエジプトのファラオの罪の行動を「過去の他人のもの」と思って、「自分にもある罪の性質」の問題だとは思っていなかったのだと思います。だからいつの間にやらファラオと同じことをしてしまい、そして国の滅亡というこの上なく重大な事態を招いてしまいました。

「人のふり見て我がふりなおせ」とも言います。誰かの罪の姿は、自分自身に潜む自分の姿でもあるんです。気をつけたいと思います。・・・と、いうよりこれは自分で気をつけてどうにかなる問題ではありませんから、正直に自分の中に潜む罪を告白して、その罪を回避させてくださるように、神様に祈りたいと思います。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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