阪神の応援席で巨人の応援をしたら怒られます【聖書からよもやま話28】

皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、列王記第二の23章です。それではよろしくどうぞ。


◆列王記第二 23章4節

王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入り口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた祭具をことごとく主の神殿から運び出し、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれらを焼き、その灰をベテルへ持って行った。


列王記はイスラエルの王国の王たちがたくさん登場する書です。今回の主人公になるのはヨシヤという王様です。この時代には神様に逆らう「悪い王」と、神様に従う「良い王」がかわりばんこに登場するのですが、ヨシヤはその中で誰にもまして「良い王」でした。彼は神様の言うことにすべて従い、国の中で流行していた他の宗教を排除しました。

彼は他の神々の像を壊したり、その聖職者を追い出したりしたので、現代の感覚では「これだからキリスト教は排他的でよくない!」なんて感じる方も多いのですが、今日引用した箇所をよく読むと、「なるほど、それは無理もないか」とも思わされます。ここに書いてある「バアル」や「アシェラ」というのは、異教の神々です。そして「主」がイスラエルの民が信じるべき神様です。その主の神殿から、バアルやアシェラの祭具を運び出したということは、それまでは主の神殿にバアルやアシェラの祭具が置いてあったということです。つまり、「主」を礼拝すべき場所で、他の神々を礼拝していたということです。

・・・これはさすがに誰でも違和感を感じるでしょう。だって、ある神様を祭る聖なる場所に、他の神様を祭る道具がおいてあるんですから。現代で言ったら、お寺に十字架があったり、教会に仏像があったりするようなものです。これはその場所を守る立場の人なら怒って当たり前です。まして、そこに祭られている神様が怒るのも至極当然です。

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あえてもっと砕いて言うなら、阪神タイガースを応援するための場所である、阪神の応援席で、巨人の応援をするようなものです。これは完全に阪神ファンに対する挑発行為です。巨人ファンの阪神ファンに対する宣戦布告とみなされるでしょう。メジャーリーグのレッドソックスとヤンキースの間では、そんなことから起こったファン同士の喧嘩で死者がでたりしています。

現代社会を困らせるいわゆる「カルト教団」の方達でさえ、自分たちの崇拝対象を祭るためには、自分たちでそのための場所を作ります。既存の教会やお寺や神社に乱入して、自分たちの神を拝むことはしません。(・・・もっとも、彼らの場合はいわゆる「のっとり」でそれをするケースもあるので困りものなのですが)


宗教や野球に限らず、何をするにも「ふさわしい場所」というのがあります。それを破れば怒られます。怒られるのを覚悟でやらなければならないこともあるでしょうが、覚悟なしにそれをやって痛い目をみても誰も助けてくれません。

ちょっと難しく言うならば「聖なるものを俗なる場所に持ち込むことは良くても、聖なる場所に俗なるものを持ち込むことは避けなければならない」と、そんなことを思います。

それではまた。
主にありて。MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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