イエス様が鞭で打たれた回数「39」の意味【聖書からよもやま話165】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、  申命記の25章です。それではよろしくどうぞ。

◆申命記 25章3節

四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』の、イエスが鞭打たれるシーンでは音楽にのせて数えながら鞭が振るわれるのですが、その数は「39」で止まります。クリスチャンでなくても、ミュージカル好きの方ならこの数字を覚えている方もいらっしゃるかもしれません。そのくらいこの「39」という数はこのミュージカルの中で強調されています。しかし、「どうして39なのか」ということを知っている方はその中でも少数派かと思います。

その数字の根拠は今日の聖書箇所にあります。神様がモーセに与えた律法で「悪人を鞭で打つ数は40回以上はいけない」と明記してあるんです。これをうけて当時のユダヤ社会では数え間違いの可能性も考慮に入れて「鞭打ちの上限は39回とする」と決めていたのだそうです。イエス様が39回打たれたということは、単に「たくさん打たれた」ということだけではなく、「上限ギリギリまで打たれた」ということですし、それは「イエス様は当時の刑法の最高刑を科されるほどの極悪人として扱われた」ということと、「一切の情状酌量も加えられなかった」ということも示しています。情状酌量どころか、その39回で最大限に痛みを与えるために、鞭には石や棘がしこまれたりもしていました。とにかくつまり、当時の社会で考えうる限りにおいて、最も苦しい刑罰をイエス様は受けたということです。

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カラヴァッジョ『キリストの鞭打ち』1607年

シンガポールには今でも鞭打ち刑が行われるそうですが、打たれる回数は成人男性で上限24回、少年で10回と定められており、女性や51歳以上の犯罪者には行われませんし、実際に24回の上限まで打たれる人は稀で、大抵の場合は傷害罪などの重罪でも8〜12回が限度だそうです。それでも1回打たれるだけで失神してしまう受刑者も少なくないようですが。大の大人が1発で失神してしまうような鞭を39発。本当ならその鞭はイエス様の身体ではなく、僕たち一人一人の身体に振り下ろされるものだったのだと思うとぞっとしますし、イエス様が僕たちの罪のために背負ってくださったものの大きさを感じます。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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