「有名な金持ち」と「無名な貧しい人」【聖書からよもやま話439】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 詩篇の82篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 8篇4節

弱い者とみなしごのためにさばき
苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

お金持ちのまわりには、たくさんの人がいるものです。つまりお金持ちは人気者です。「クリスマス・キャロル」のスクルージのようにお金持ちなのに誰からも嫌われて孤独だ、なんて人は現実にはあまりいません。それは多くの人がお金を信用しているし、お金を持っている人を信用しているからです。その人は果たしてお金持ちだから人気者なのでしょうか、人気者だからお金持ちになったのでしょうか。それはその人がお金を失ってみればわかることです。しかし世を見渡せば「金の切れ目が縁の切れ目」と、お金を失ったら周りから人がいなくなったという話ばかりです。

「有名なお金持ち」と、「無名な貧しい人」。どちらの言うことを信じるかと問われたら、有名なお金持ちの言うことを信じる方が多いのではないでしょうか。おそらく僕もそのようなシチュエーションになったら、有名なお金持ちの言うことの方を信じてしまいそうな気がします。しかし実はその判断には何の根拠もありません。

たしかにお金持ちはなんらかの「成功」を得たからお金持ちなのかもしれません。そしてその成功体験から来る知識や思考を真似すれば自分もまた「成功」できる可能性が上がるのかもしれません。しかし、おそらくそれは「成功」できるか可能性が「上がる気がする」だけなのかと思います。

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UnsplashShaneが撮影した写真

世論では「庶民の声を聞け」という意見が大半を占めますが、ではその意見を言っている人自身は果たして庶民の声を聞いているでしょうか。彼らもまた「有名なお金持ち」の声を聞いているのではないでしょうか。とある権威を批判している人たちであっても、その意見をよくよく読んだり聞いたりしてみると、別の権威を信じているだけだったりします。

この意味で、本当に「無名な貧しい人」の話を聞いて、それを自らの意見の拠り所にする人は稀です。「弱い人の声を聞く」と言っても、そのほとんどは上から目線の道場だったりします。「助けてあげる」ために必要なことを尋ねているだけで、その人の意見を自分の拠り所にしようなんて心から思っている人は稀です。

詐欺師の多くは立派な格好をしています。それは立派な格好が信用を生むとわかっているからです。社会人の多くがスーツを着るのも、スーツを着ることで信用が上がることがわかっているからです。立派な身なりをした人と、みずぼらしい身なりをした人では立派な身なりをした人の方が明らかに人の信用を得ることは心理学的にも証明されています。

お金を持っているか否かが、その人の「正しさ」までも決めてしまう。これが資本主義社会の最も恐ろしい弊害かと思います。みんなお金が欲しいので、お金を持っている人にあやかりたいんです。反対に、貧しい人にはあやかりたくないんです。たとえその貧しい人がどれほど正しいことを考えていたとしても。

豊かさと貧しさ、有名と無名、立派な身なりとみずぼらしい身なり。これらのことは正しさと誤りには何の関係もありません。このことを僕たちはつい忘れがちであるように思います。気をつけなくてはいけません。

とはいえもちろん、できる範囲で身なりだって整えた方が良いとも思いますけどね。人の信用のためというよりも、身なりを整えるだけで自分の気持ちがピシっとしますからね。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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