エスコートの基本は「守る人が左側、守られる人が右側」です【聖書からよもやま話163】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、  詩篇の110篇です。それではよろしくどうぞ。

◆詩篇 110篇1節

「あなたは わたしの右の座に着いていなさい。
わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするまで。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

日本語の表現で「右に出る者がいない」というのがあります。これは「その人よりも優れた人はいない」という意味です。これは昔、立場が上の人から見て右側が「上座」とされたことによります。雛飾りで飾られる右大臣と左大臣では、左大臣の方が偉いとされています。実際に過去にあった官職としても左大臣の方が右大臣よりも上です。「あれ?反対じゃない?右が偉いんじゃないの?」と思うかもしれませんが、左大臣はこちらから見ると確かに左にいますが、お内裏様から見ると右側にいます。

聖書ではこの箇所のように「神の右」という表現がよく出てきますが、これは日本語の「右に出る者」とは意味が違います。聖書における「神の右」という表現は「神様の一番近く、一番影響力の及ぶ範囲、神様に守られている、いちばん大切な位置」というような意味です。決して「神様より優れた位置」というわけではありません。つまり今日の箇所が言っていることは、「神様の影響力の強く及ぶところに常にいなさい。そこが安全だから。」という意味になります。
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男性が女性をエスコートする場合、女性は男性の右側に立つのが良いとされています。そこが男性にとって、女性を最も守りやすい位置です。と、いうのは剣士や騎士は剣を左側にさげて、敵が来たら右手でそれを抜くからです。守る対象が左側にいては剣を抜くときに誤って傷つけてしまうかもしれません。ですから「神の右」というのも神様にとって、あなたを最も守りやすい位置だということになります。反対に、神様の左に立つということは、いつでも神様に剣を向けられる位置に立つということでもあります。ですから神様を愛するなら、神様の左ではなく右にいなさいと聖書は教えているんです。

ちなみに日本語の「右に出る者がいない」を英語にすると「No one is sperior to him」とか「He has no equal」とか、直訳すれば「優れている人がいない、匹敵する人がいない」という表現になり、左右が関係する訳語はありません。英語圏では左右で優劣を表現することはないんです。

さらにちなみに、政治的なイデオロギーの分類として「右派・左派」とか「右翼・左翼」というのがありますが、これは聖書の記述とは関係なく、フランス革命の時に開かれた議会において、たまたま保守派の人たちが議場の右側に陣取り、革新派の人たちが左側に陣取ったことに由来します。「聖書では右が良い位置なんだから右派の方が偉いんだ!」とか「いやいや、日本では左の方が偉いんだから左派の方が偉いんだ!」なんて論争してもまったく不毛であるということです。そもそも聖書では人間同士でどっちが偉いかなんて競うのはやめなさいと命じられています。

現代では必ずしも男性が守る人、女性が守られる人、とは限りませんから、男女の場合にはそこはフレキシブルに解釈して、反対のケースがあっても良いと思います。僕自身も右手で杖をつきますから女性と歩く時は自分が右側になることが多いです。でも神様と人間の関係においてはフレキシブルに反対にしてはいけないんです。自分はあくまで神様に守られている存在であるということを忘れてはいけません。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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