人間はどうしてもミスを犯します。でもだからと言って・・・【聖書からよもやま話26】

皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ルカの福音書の17章です。それではよろしくどうぞ。


◆ルカの福音書 17章1節

つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。


「つまずき」というのはクリスチャンの方々は慣れ親しんだ言葉ですが、クリスチャンでない方にはピンとこない言葉だと思います。これは簡単に言えば「信仰生活や教会が嫌になってしまうこと」です。「牧師につまずく」と言えば「牧師が原因で信仰生活が嫌になってしまった」ということですし、「人間関係につまずいた」と言えば「教会の人間関係のせいで教会が嫌になってしまった」ということです。

ですからこれは、本来は起こらないことが望ましいことなのですが、イエス様は明らかにここで「それが起こることは仕方ない」と言っています。人間は不完全なものなので、どうしても時には嫌になってしまうことがある、それは仕方ないということです。しかしその後で「つまずきをもたらす者はわざわい」ですと言っています。と、いうことはつまずきの原因になった、上の例で言えば牧師さんや教会の皆さんがわざわいであるということでしょうか。

イエス様はおそらくそうではなく、「わざと、意図的に、人をつまずかせる人」をわざわいと言っているように思います。もう少し拡大すれば「自分がつまずきになると分かっていて、その言動を改めない人」も含んでいるかも知れません。

たとえばこの「つまずき」を「ミス」と置き換えてみると、少しわかりやすくなるように思います。「ミスが起こるのは仕方ない。しかし、ミスが起こるように意図的に仕向けたり、ミスの明らかな原因を放置したりすることはよくない」と。

日本人って何かのシステムを設計する時に「ミスが起こらないように」と考えます。しかしアメリカでは「ミスが起こった時にどうするか」を考えてシステムを組みます。また少し話がずれますが、「いじめ」の問題でも日本では「いじめを撲滅しよう!」と考えますがアメリカでは「いじめが起こった時にどうするか」を考えます。日本ではいじめが起こると先生が「みんな仲良くしましょう。いじめはやめましょう」と言いますが、アメリカではその加害者や被害者のクラスを変えてしまったりします。

「起こらないようにする」と「起こった時にどうするか」どっちが優れているわけでも劣っているわけでもありませんが、しかしイエス様が「つまずき」に関して「起こることは避けられない」と言っていることは、注目に値すると思います。「明確な原因がなくても起こるものは起こる。でもだからといってその明確な原因を放置するのはよくない」この考え方が今の日本に補充されたら、もう少し生きやすい世の中になるのかなと思います。


仕事中に眠くなるのは仕方ない。しかし眠くなる明確な原因である寝不足の放置はいけない。と、いうわけで今日もちゃんとしっかり眠ることにします。

それではまた。
主にありて。MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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