4月10日「出発点」

わたしたちは最初の数か月、旅行が「出来るよう」準備を整え、必要最小限の必要なニーズが満たされるために過ごす ―― 多くの人が、こうした「登山のための準備」を経験したと思う。適切な衣服を揃え、食べ物の量を見積もり、テントは防水であるかと確認し、救急用品があるかを確認して、必要なものを手に入れようと数日を費やすのである。そうして登山道の入り口に立つ ―― この時点までは、全てが思い通りになる。そしてその後は、ほとんど全てが、あなたの思い通りにはいかなくなる ―― 目に見えないもの、明白ではないもの、予想がつかないものに、対応しなければならなくなる。気候が変化し、野生の動物が姿を現し動き回り、自分自身の肉体の耐久力にも限界があり、ハイキング仲間の心情も変わって行く。ここで、あなたは「出発点」に立つことになる。

出発点に到着するまで、あなたは目で見えるもので生きてきたのだ。出発点から先は、信仰をもって生きることとなる。生物学を基盤として生きてきたあなたは、基本的なスピリチュアリティーを基盤として生きることとなる。これからは「直感」や「感覚」や「直観」というものに捕らわれずに、もっと広い世界に乗り出して行くのである。「記憶」「予想」「待望」「信頼」「信念」「犠牲」「まっすぐな愛」「忠実」といったもの ―― つまり、あなたが見たり取り扱うものに矮小化(わいしょうか)されることの決してできないもの ―― 壮大な世界に乗り出し、そこに参加して行くのである。わたしたちの内なる人間性を、わたしたちの個性に応じてはっきりと作り出して行くものが、そこに広がっている。そのどれ一つとしても、わたしたちが所有することは出来ないものである。 ―― それらは全て、わたしたちが入っていかなければならないものである。そこに広がるものほとんどは、手に触れることも、口に入れることも、生ぬるい慰安で包むことも不可能な場所である。わたしたちは「出発点」で「何もない中に生きる」ことを学び始める。「出発点」で、わたしたちは、「これがあるから生きていける」という時に感じる同じ安心感をもって、「何もない」という中を生きることが出来るようになって行く。それを指して用いる一般的な言葉がある。 ―― それは「信仰」という言葉である。「信仰」については、伝統的な言葉で定義づけられている。それ以上の定義は今まで一度も生み出されたことはない。その「伝統的な定義」とは、次の御言葉である。 ―― 「信仰とは、望んでいることがらを確信し、まだ見ていないことを確認することである。」(ヘブライ人への手紙11章1節)

この神への信頼こそ、物ごとが存在するという根源である。これを信仰という。その信仰がすべてのものの一つひとつの下に堅固な土台として据えられて、いのちは生きるに値するものとなる。わたしたちはそれを見ることが出来ないが、しかしそれによって生きる。わたしたちの先祖たちは、この信仰という行為によって特徴あるものとなった。先祖たちは、この信仰ゆえに、群を抜いた存在とされたのだ。
―― へブライ人への手紙11章1~2節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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