料理上手よりも食事上手の方が幸せ【聖書からよもやま話628】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩編の128篇です。よろしくどうぞ。

詩編 128篇2節

あなたがその手で労した実りを食べること
それはあなたの幸い あなたへの恵み
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

「日本は貧しくなった」と言われていますけれど、僕は以前とあまり変わらず毎日おいしい食事をして幸せに生きています。たしかに焼肉や寿司を食べに行く回数は減りましたし、牛肉のステーキを買ってきて家で焼く回数も減りました。でもそれを少しも不満には思わないんです。「思わないようにしている」とかではなく、素直に満足しています。

むしろ、スーパーで安い食材を選ぶと、自ずと旬の野菜が増えますから、それを味噌汁にしたりしていると、毎日の味噌汁が季節を知らせる豊かな料理になったりします。それにこれまた季節の魚を組み合わせれば(今なら秋刀魚ですよね、なんと言っても)それでもう、立派な「季節の御膳」が完成します。とはいえ「一汁一菜」ですから、その意味では粗末なものですけれど。でも僕にはそれで十分です。

まぁ、年齢のせいもあるようにも思います。それほどしょっちゅう、焼肉やらステーキやらを食べられるような強靭な胃袋ではなくなってきて、野菜や魚の方を好むようになったのかもしれません。とはいえともかく、僕は少しも「生活が貧しくなった」とは思っていません。むしろお金を使わないことで豊かになる食事もあるのだなーと実感しています。

日本ではなぜか「一汁三菜」が食の基本のように言われていますけれど、一汁三菜というのは元々は武士、それも上級の武士が整えていた食事です。下級武士や商人、農民の多くが食べていたのは基本的に一汁一菜です。一汁三菜というのはいわば「ごちそう」です。それが何故か近頃の日本では基本とされてしまっています。ごちそうを毎日食べていたらありがたみも薄れますし、体だって壊します。まして毎日ごちそうが食べられないから「貧しい」なんて、昔なら殿様だって気の利いた人ならそんなことは言わないでしょう。僕たちは毎日「殿様の食事」を当たり前のように求めていたんです。

まず、自分の食べるものを「貧しい」と思ってしまうこと。これが何より貧しさの原因です。与えられたものを「貧しい」と思うか「豊かだ」と思うか。これだけで、同じものを食べても得られる幸せの量は大きく変わります。真のグルメとは「おいしいものを食べる人」ではなく「おいしく食べる人」です。料理上手であるよりも、食事上手であることが、幸せに生きるコツです。

神様から与えられたものを、最大限に喜んで食べる。それ以上の幸せはありません。
ないものを望むから不幸になり、「貧しく」なってしまうんです。どんなお金持ちでも、ないものを望めば貧しく、どんなにお金がなくてもあるものを喜べば豊かです。

貧しくなっているのは経済よりも心です。しかし聖書は、イエス・キリストは言っています。「心の貧しい者は幸いです」と。なぜならその心にはこれから神によって満たされる余地が存分にあるからです。もっと幸せになる余地がたっぷりあるからです。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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