主の御名をあがめます。
梅雨が終わったら当然のごとく、暑い日が続きますね。昨日は軽く熱中症になってバテてしまいました。皆さんも注意してくださいね。そんな暑い中、今日もクリスチャンプレスをご覧いただき、ありがとうございます。
◆8月4日 橋の日
ハ(8)シ(4)の語呂合わせで宮崎県の「橋の日実行委員会」が1986年に制定しました。また、同じ語呂合わせで1975年には同じ日を「わりばし組合」が「箸の日」にも制定しています。でも今日は箸は置いておいて橋の話。
聖書に橋ってあんまり出てこないなと思ったら、それもそのはず聖書に「橋」という文字は一回もでてきません。なんとも意外な話です。え?当時はまだ橋って技術的に不可能だったのか知らん?と思いまして、「橋の歴史」を調べてみたのですが、そうしたら最古の橋は紀元前4000年のメソポタミア文明で作られたそうです。そして古代ローマでも作られていましたから、聖書に橋が登場してもちっともおかしくないのですが、しかしなぜか聖書には登場しない・・・もしかしてイエス様は橋がなくても水面を歩いて渡れるからですかね。モーセさんも橋は使わずに、海を割って渡っちゃうし・・・神様からすると「橋なんてめんどくさい!」って話なのかもしれません。

画像:写真AC
しかし、さらに調べますと古代ローマ時代から中世にかけて、橋を作るのは聖職者の仕事だったのだそうです。ローマ教皇を「Pope」とも呼びますがこれは「Pontifex maximus」の略で、この「Pontifex」は「Ponti(橋)」と「fex(作る)」の合成語だそうです。ついでに言いますと、日本や中国でも橋をかけるのは仏教の聖職者が多かったんだそうです。「聖職者と橋の関係」、謎です。今度またよく調べてみようと思います。
皆様と神様との間に立派な橋がかかりますように。
それではまた明日。
主にありて。

MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。