説教は棒読みしないで 勝本正實 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】


Q.牧師が原稿を棒読みするので、説教がまったく心に響いてきません。(60代・男性)

話題の牧師は、若い牧師か、説教に不慣れなのか、または恥ずかしがり屋なのか、あるいは読むスタイルを大切にしているのかなどと想像します。ただどんな事情であれ、せっかく準備した説教が会衆に伝わりにくい結果となり、残念に思います。なぜなら説教に込められたメッセージは、言葉だけでなく説教者の動作や表情を通じても十分に伝えられるからです。

説教を語りながら一方では、会衆の方々の反応を見るのも牧師の大切な役割だとわたしは考えます。悩みごとがありそうな人、疲れていそうな人、穏やかに聞いている人、何か怒りや不満を持っていそうな人、上の空で聞いている人などを、語りながら判断できる機会ともなるからです。

棒読みの説教は、心に響きにくい、聞く気がしないというのは素直な反応です。しかし、それでも説教の内容に価値がないとは限りません。一度あなたも目を閉じて、語られている説教そのものに注意を向けてみませんか。棒読みに注目するのではなく、話の内容そのものに心を向けてみて、それでも心に響かないなら、他の人がどのような印象を持っておられるか、教会の方に尋ねてみるのもよいでしょう。

私も30代前半のころに、女性信徒の方から「先生が一生懸命説教しているのは認めますが、説教が難しくてわかりません」と言われたことがあります。その時はショックで怒りも感じましたが、それ以降、わかりやすい説教を心がけるようになりました。案外、牧師は信徒の人たちが、どのような気持ちで説教を聞いているか知らないものです。牧師の中にも説教の仕方について、迷いながら悩んでおられる方もあるでしょう。ですから、あなたも率直に、そして謙虚に、牧師に話してみてはいかがでしょう。

説教で人が救われ、励まされ、慰められることを牧師もまた願っています。説教を準備する時間や労力も大きいので、会衆と共に神の言葉を共有共感できれば、それは素晴らしいことです。

*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。

かつもと・まさみ 1950年熊本県生まれ。聖契神学校卒業後、立正大学仏教学部(日蓮宗)を卒業。あわせて僧階課程を修了。その後、仏教大学で仏教学(浄土宗)を専攻。神道や民俗宗教の学びの必要を覚えて、神道宗教学会に加入。郷里熊本で牧会の後、1990年から千葉県流山市で開拓伝道を開始した。後に日本聖契キリスト教団に加入し、聖契神学校講師(比較宗教·日本教会史)を担当。著書に『日本人の生活習慣とキリスト教』『日本の宗教行事にどう対応するか』(いずれもいのちのことば社)など。

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