心の病は神の罰? 山中正雄 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

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Q.心の病で気分がひどく沈み、人と出会うことが苦痛になりました。最近は教会の集会に出ることも負担に感じます。これは神さまの罰でしょうか。(20代・男性)

礼拝に出席し説教を聞き、同じ信仰に生きる仲間たちと語り合う。そうした通常の教会生活が喜びであったのに、「心の病」でそれが負担になってしまったとのこと、本当に辛いことでしょう。体の病や不慮の事故が人に襲うように、誰の上にも「心の病」がふりかかってくることがあります。どれほど注意しても避けられず、体の病気以上の苦痛を味わうことが珍しくありません。

信徒として義務をきちんと果たそう、という意志はあっても現実にはそれができない。なぜ自分がこんなひどい状態になったのか、とあれこれ考えるものです。すべて周囲の人たちのせいにすることもできますが、勤勉で良心的な人ほど自分の内側に原因を求めるでしょう。そして究極的には、自分の罪が無力感・敗北感をもたらしたに違いない、と確信するわけです。そこには危険な罠が潜んでいます。「心の病」を単なる甘えや怠慢と理解した結果、体の病気ならば同情され、ゆるされたことがそうならず、自らを追い込むことになるからです。

気分が大きく沈み苦しむうつ状態は、「心の病」によることが少なくありません。抗うつ剤の投与など、精神科的治療が奏功するケースをたくさん見てきました。「心の病」は、神の処罰だと考える必要はありません。むしろ「心の病」の治療の土台は、投薬と休養です。専門医の援助を受けながら、無理のない教会生活を続けられることお勧めします。

やまなか・まさお 精神科医、日本アライアンス教団千葉キリスト教会牧師。 1951 年高知県生まれ。高知高専、広島大学医学部、日本アライアンス神学校卒。日本アライアンス教団関東教区長。マザーズ・カウンセリング・セン ター(MCC)運営委員長。著書に『こころの診療室』(日本キリスト教団出版局)、『うつ病とそのケア』(キリスト新聞社)など。

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