キリストは「正義の味方」ではない 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

 最近はあまり「正義の味方」という言い方はしないのですかね。今年46歳の私が小さいころはいましたよ。「宇宙刑事シャリバン」とかね。正義の味方です。ヒーローものはたいがいそう名乗ります。「ウルトラマン」のシリーズにしても、「仮面ライダー」のシリーズにしても、「ゴレンジャー」とかの戦隊ヒーローにしても、みんな正義の味方ですよね。

 でも、「聖書」という一種のヒーローものが「宇宙刑事シャリバン」などと決定的に違うところは、主役であるイエス・キリストが、正義の味方ではないところですね。彼はどちらかといえば、間違っている側の味方です。徴税人とか、娼婦とか、罪人(つみびと)の仲間です。貧しくて、弱くて、病んでいて、間違っているほうの味方です。ある教会のご婦人が「最近、教会に来る若い子は『イエスさま~』って泣きついてくる弱い子が多いのよね」と(多少バカにしたニュアンスで)おっしゃっていましたが、いやいや当時からそうですよ。イエスさまの周りにはそういう弱い人ばっかり集まっていたのですよ。昔も今もそうです。

 私は月定献金も2年くらい滞納し、教会の総会は必ずさぼり、それどころか日曜の礼拝も行かずに、違う教会のオンライン礼拝を見ています(コロナ禍以来、YouTubeによるオンライン礼拝が日常化しました)。しかもそのオンライン礼拝というものはほとんど「テレビ番組」と同じ感覚なので、気に入った牧師が出てくる礼拝しか見ないというひどいインチキ信者です。でも、イエスさまは、間違っている側の味方なので、そんな信仰の守り方しかできない私の味方であるはずだという気持ちは持っていますし、いつも喜んでいないし、絶えず祈っていないし、どんなことにもなんてとても感謝できないし、互いに愛し合っていないし、まるで聖書の教えも実践できていませんが、そんな私を十字架の上でゆるしてくださっているのがイエスさまだと思っているのですよね。なんてむしがいいんだ!

 でも、ある本(土居健郎『信仰と「甘え」』)に書いてあったのです。毎週、礼拝で「主の祈り」を唱え、「われらを試みに遭わせず悪より救い出したまえ」って祈るけど、「試練を乗り越えられますように」って祈るのではなく「そもそも試練に遭わせないでください」って祈るというのは、かなりむしがいいではないかって。でも、それが、イエスさまの教えてくれた「主の祈り」なのだ!

 むしがいい信仰で行こう! 聖書は自分に都合よく読もう! オンライン礼拝も見たくない時はさぼろう! キリストは正義の味方ではない! どちらかといえば間違っているこの私の味方なのだ! そして、イエスはきっとあなたの味方でもありますよ!

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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