神に不平不満を愚痴りましょう 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

Image by Gino Crescoli from Pixabay

 旧約聖書に、エレミヤ書という書物があります。聖書を通して17回読んだことのある私のエレミヤ書の感想をひとことで言うと、「支離滅裂」「ちんぷんかんぷん」「意味不明」となります。エレミヤ書は預言書のひとつですが、だいたい預言書というものはほとんどちんぷんかんぷんであり、ダニエル書の前半とヨナ書を除いては、物語性が皆無で、かなりちんぷんかんぷんです。少なくとも、新約聖書の福音書を読むときのような、読みやすい物語調ではまったくないのです。

 栗田隆子(くりた・りゅうこ)さんという人が、以下のYouTubeで次のようなことをおっしゃっています。

 栗田さんは、「私はエレミヤ書や詩編が好きです。なぜなら、神様への文句が多いからです」とおっしゃっています。これはエレミヤ書の特徴をひとことで言い切った名言だと思います。エレミヤ書の最大の特徴は「神様への不平不満ばかり」というものなのです。

 エレミヤ書で、極端によく引用される箇所として、29章11節があります。「あなたがたのために立てた計画は、私がよく知っている――主の仰せ。それはあなたがたに将来と希望を与える平和の計画であって、災いの計画ではない」。なかなか前向きな言葉ですね。なぜ、ここばかり引用されるのか。それは、他の部分は、ひたすら不平不満だからです。いかにエレミヤのような不平不満ばかりの人でも、一瞬、前向きなことを言う場面があります。それがこの29章11節なのであって、だからみなさん、ここばかり引用なさるのです。基本的に、エレミヤ書の全体は、神への不平不満ばかりでできています。

 でも、私も栗田さんのおっしゃる通り、神への不平不満というのは、積極的に言うべきだと思っています。みんな、なにかしらの不平不満はあると思います。人生を大きく左右するような深刻な理不尽から、それこそ「仕事が山のようにある」というレヴェルの不満まで。それらをひとりで抱え込むことは人間にはできないと思います。だれかに愚痴を聞いてもらう必要があるのです。神に愚痴を言い、人にも愚痴を言う。特に「神に愚痴を言う」というのは、神を信じる者の特権と言ってもいいくらいの恵みではないでしょうか。思い切り神様に愚痴を言ったらいいと思います。エレミヤのように! そして、ときには人にも愚痴を聞いてもらいましょう。神様って、いくらでも愚痴が言えるところがいいですが、なにしろ見えませんからね……。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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