【断片から見た世界】『告白』を読む アリピウスとの議論

アリピウスとの議論

回心の可能性が少しずつ迫りつつある頃、アウグスティヌスは親友のネブリディウスとアリピウスと共に、人生の悩みについて事あるごとに語り合っていました。

「こうしてわれわれ三人の口は、相集まり、互いにその無力を嘆き合い、『あなたが適当なときに、かれらに食物を与えられる』ように、あなたに待ち望んでいた。そしてわたしたちは、あなたのあわれみによって、わたしたちのこの世の営みに伴うあらゆる苦難のなかで、何の為にそれをなめねばならないのかとその目的を考えていたが、そのとき目にはいったのは、ただ暗黒のみであった……。」

中でも、年下のアリピウスと交わした議論は、『告白』の以後の道行きにとっても重要な意味を持つものとなっています。今回と次回の記事では、本の叙述を元に彼らの間に交わされた会話を再構成するという形で、議論をたどってみることにします。

アウグスティヌスは語る

それじゃあアリピウス、君はやっぱり僕が結婚した上で真理の探求を続けることに、反対なのかい?

「ええ、その通りです、アウグスティヌス。全くもって反対ですね。」

いや、違うんだよアリピウス、わかってくれよ。僕は何も、哲学することに対して不誠実だっていうわけではないんだよ。昔の人の中にも、結婚しながら真理の探求に身を捧げた人はいくらでもいたわけだし、僕はただ……。ねえ、事によると君には、いま僕が言い訳をしているように見えているのかい?

「……言い訳してるんじゃないなら、逆に何をしてるっていうんですか?」

……だよね。僕にもわかってる。でもねアリピウス、君はもうずっと貞潔を守れていて本当にすごいけど、僕には僕なりの事情があるんだ。つまり僕はその、女性との交わりがある生活をもう十年以上も続けてきたわけで、今からそれなしでやっていけって言われても、ほんとに正味な話、全然できないような気しかしないんだよ。無理だよ。ていうか、アンブロシウス先生はなんでずっと独身生活を守れてるんだ?あれが神の恵みってものなのか?

「……まあ、意志が強いとかじゃないんですか……。」

はっきり言っておくけど、この話題に関しては、どうか僕に強さを期待しないでくれ。いやほんと、こればっかりは何をどうやっても無理なんだ。理屈ではどうしようもないんだな。でも、つまるところアリピウス、僕は突き詰めて言うなら、セックスができないんなら生きてる意味なんてないんじゃないかって思ってるってことなんだろうか。自分で言ってて悲しくなってくるな。それじゃあ何か、僕はセックスするために生きてるってことなのか?いや違うんだ、真理の探求が……。

 

 

「哲学の探求に、日々励んではいるが……。」

論点:
一度出来上がってしまった習慣は鎖となってその人に絡みつき、その人が変わってゆこうとするのを容易には許さない。

「容易には」っていうか、くり返しになってしまって申し訳ないけど、もうほとんど無理みたいな感じなんだ。だんだん僕にもわかってきた。キリスト教の教えのうちには、幸福な生にたどり着くための手がかりが確かにあるような気がする。ていうか、時々は「もう僕は、神の愛に従って生きるしかないんじゃないか」みたいな気分になることだってある。でも、そう思った次の瞬間には、すぐに元の自分自身に引き戻されるんだ。幸福な生がそこにあるような気もするのに、実際乗り出してゆこうとすると、それが全然幸福だとは思えなくなってくるんだな。

おそらくは本当に難しいことなんだ、根本から新しく生き始めるっていうのは。僕は決断したり、跳躍したりする強さがほしい。でも、それを持ってない。目標は存在するのに道は存在しないっていうか、変わろうとしてる僕自身が一番変わりたくないんだから、もうどうしようもないよ。別に誰に邪魔されてるわけでもない。ただ僕が決断して生まれ変わりさえすればいいのに、そして多分、決断した後には、もう今みたいな悩みから解放されてるはずなのに、実際には、まずは解放されないと決断できないみたいなパラドックスがここにはあるような気がする。泥沼だよ。完全に煮詰まってるよ。

アリピウス、僕は最近、自分のしていることがわからないんだ。世の中では、やれあの哲学が話題らしい、この本は要チェックだみたいなこと言って、延々と騒ぎ続けてる。まあそれも、めちゃくちゃ狭い世界のことではあるんだけど、僕たちはそういうのにもうんざりしてきて、ただ真理だけを探求しようと思って、日々こうやって話してる。ところが実際は、こんなどうしようもない、まあ僕にとっては大問題なんだが、とにかくこんな他の人には言えないような悩みをめぐって、延々とうめき続けてるというわけなのだ。僕にはもう、何がまともで何がまともでないのか、全然わからないよ。「まとも」ってそもそも何だったっけ。幸福な生、そこにさえたどり着けるなら、全ては解決するはずなんだ……。

 

おわりに

「狭い門から入りなさい」と信仰の書は語っていますが、その門への入り方が分からないという場合には、人はその門の前で右往左往するほかなくなってしまうのだろうか。私たちは引き続き彼らの間で交わされた議論をたどりつつ、『告白』が抱えこんでいる実存の問題の中核に迫ってみることにしたいと思います。

 

[今回の記事ではアウグスティヌスの抱えていた問題について、一部問題含みと言えなくもない表現を用いていますが、「新しい人間」として生まれ変わってゆく上での心の葛藤と過ちを示すものとして、ご容赦いただければと思います。この一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]

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