【哲学名言】断片から見た世界 自分自身の心に問い尋ねること

司教ファウストゥスはアウグスティヌスの疑問に対して、どのように答えたか

当時29歳のアウグスティヌスはついに、マニ教徒の間では有名人であった司教ファウストゥスに、自分の抱えているさまざまな疑問について尋ねる機会を得ます。

「それゆえ、わたしがあのファウストゥスを長い間待ちわびていた熱望は、かれの談論にさいしての態度と熱情によって、またかれの適切な思想の表現にあたって、口をついてでる言葉によって、大いに満たされた。[…]しかしわたしは聴聞者の集会で、かれと親しく語り問答を交わすことによって、わたしを悩ましていた疑問をかれに述べてそれを伝えることを許されないのが何よりも遺憾であった。しかし、わたしはのちにそれを許されて、かれが談論するのに都合がよいとき、かれの意見を求めて、わたしを悩ませていた二、三の問題を述べるようになった……。」

待ちに待った機会を得たアウグスティヌスはファウストゥスから、どのような答えを聞くことができたのでしょうか。

ファウストゥスの返答は、アウグスティヌスを拍子抜けさせた

意外なことに、ファウストゥスが教義上の難しい問題に関して若き青年に返した答えは、「申し訳ない、その問題については分からない」というものでした。

それも、最も気になっていた天文学上の問題についてだけでなく、アウグスティヌスが疑問に感じていた他のさまざまな問題についてもまた、「申し訳ない、それも分からない……」という返答が返ってきます。当時すでに数えきれないほどの本を読んでいたアウグスティヌスは、このファウストゥスという人が多くの人々にそう思われているほどには物知りではないことを、早いうちに見抜きます。ファウストゥスは、昔読みかじったキケロやセネカのわずかな作品、そして、いくつかの文学作品を実に巧みに使い回すことによって、「話がとても上手い上に、何でも知っていて本当にすごい人」との評判を得ていたのです。

意外にも正直に、知らないことは知らないと答えてくれたことで、アウグスティヌスのファウストゥスに対する印象が下がることはありませんでした。「正直に告白する魂のもつ謙譲さは、わたしが知ろうと思っていた事柄よりも美しいのである。」ただし、マニ教の教義に関するさまざまな疑問点が結局「何でも知っていてすごい人」に尋ねても解消されないのを知ったことで、アウグスティヌスのマニ教に対する熱はこの後、次第に冷めてゆくことになります。

「探し求める」とは、自分自身の心に問い尋ねながら進んでゆくことである

若きアウグスティヌスは以上の出来事を通して、世の中で「知者である」、すなわち、大切なことを知っていると思われている人々が、そうしたことを本当に知っているとは限らないという事実を学んだものと思われます。

司教ファウストゥスは話しぶりも実に立派で、あたかも何でも知っている人のようでした。それに、すでに見たように、彼は自分自身を偽ることのないある種の誠実さをも持ち合わせていて、おそらくはそうした所もまた、人々の心を引きつけていたのかもしれません。それでも、彼は「生きることの真実を知っている人」でも、それを追い求めている人でもありませんでした。彼は真実を探る代わりに、彼の語りに夢中になってくれる人に対して「真実のように見える、心地のよい言葉」を提供し続けることで、人生の時を過ごしていたのです。

ファウストゥスに出会ったことはおそらく、アウグスティヌスのその後の人生の道行きに対しても大きな影響を及ぼさずにはいなかったものと思われます。

すなわち、アウグスティヌスは次のことを改めて学んだのです。世の中で「真理を語ってくれる」と思われている人がみな、真実を心の底から追い求めているわけではない。もしも人間が生きることの真実を本当に知りたいと思うなら、他の「みんな」がそれがそこにあると語っている場所を離れて、自分自身の心に絶えず問い尋ねながらそれを求めてゆく必要があるのではないか。ひょっとしたら、誰かそれを見つけるための手がかりを語ってくれる人々というのは、この世のどこかにいるのかもしれません。しかしながら、その場合にも、この「自分自身の心の奥底に問い尋ねる(「『内なる呼び声』を聴こうと努め続ける」)」ということが、いずれにせよ必要であることだけは確かなようです。

おわりに

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」生の真実は自分自身の意志でそれを探し出そうとしない限りは決して見出されることがない、というのはおそらく、今も昔もそれほど事情は変わらないのではないかと思われます。ともあれ、青年アウグスティヌスの探求がこれからどこへ向かってゆくことになるのか、引き続き探ってゆくことにしたいと思います。

[このコラムの筆者は今年で37歳になりますが、最後の「求めなさい」の切実さについては、以前にもまして体感されるようになっているような気がします。なお、今回の記事との直接の関連はないのですが、いつもこのコラムの写真を選んでくださっている編集部のKさんに、初のお孫さんが生まれたそうです。Kさんから可愛い赤ちゃんの写真を見せていただく日を楽しみにしているのですが、ともあれ、読んでくださっている方の一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]

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