「Go To」から「Go Beyond」へ 【アメリカのコロナ病棟から 関野和寛のゴッドブレス】第7回

ここアメリカ、ミネソタ州の病院で病院聖職者チャプレンとして毎日コロナ病室に入る日々。ミネソタ州では1日に感染者が1万人を超える日もある。日本の比ではない。メディアがいう「最前線」にいる。また濃厚接触者でもある。当事者として日本−アメリカのニュースをもちろん見るわけだが。やはり、どうしても日本のメディアは1日の感染者数のグラフと「Go To トラベル」「Go To イート」の問題ばかり。

この日は急にポケベルがなり、ER:緊急治療室に呼び出される。若い母親の突然死。病院にタクシーでやってきて1時間で心肺停止で帰らぬ人になってしまったのだ。そして、同行してきた家族は悲しみのあまりパニックに陥り、泣き叫びながら病院の外へ走っていってしまったとのこと。私に与えられたミッションは、この家族を落ち着かせることだった。

だが、落ち着かせることなどできるわけがない。2時間前まで家のリビングで一緒にテレビを見ていた母が、急に二度と戻らぬ人になってしまったのだ。病院の中庭で泣き叫ぶ子どもたちを発見。かける言葉なんてどこにもないのだ。「チャプレンの関野です。このまま外にいたら、みんな風邪をひいてしまう(−3度)。ママの部屋に一緒に戻りましょう」。成人前後の3人の子どもたちだが、一人は立ち上がれないくらいに気が動転して激しく声を上げて泣いている。私は彼を起こし、ひたすらに抱きしめるしかなかった。そして、肩を抱いて一歩一歩病室に戻る。すると今度は、横たわる母親を見て他の子どもが泣き始める。聖書や十字架を持って来てはいるが、それらの出番ではない。「この死には意味がある」とか「イエスさまが共にいる」など、キリスト教会における水戸黄門の印籠ような言葉はここでは出せない。

母親を急に奪われる意味など知るよしもなければ、神の存在など感じられるわけはなく、むしろ「神などいない!」、そう感じるほどの絶望の中にいるのだ。もう私は宗教者でも牧師でも日本人でも何でもない。ただ横にいる、くだけ散ってしまった心を受け止めるスポンジだ。床にこぼれ落ちる涙を染み込ませるだけのスポンジに、私はなる。どれだけ子どもたちを抱きしめ、肩をさすっていただろうか。主治医が入ってきて死因を説明し始めた。「死因は急な心臓発作。もしかしたら持病が原因かもしれないし、新型コロナウイルスに感染し、一気に持病が悪化した可能性もあります……。家族全員、PCR検査を受けてください」。現在のところ、感染者の遺体は感染者と同じ扱いなのだ。つまり、この部屋にいる全員が防護服なしの濃厚接触者となる。

子どもたちの絶望の上に、さらなる失望が覆いかぶさる。皆、顔を見合わせて黙っていた。母との死別の悲しみの中、子どもたちはきっとPCR検査を受けることになる。そして私も受けることになると思う。私は彼らの家族でも親族でもない。だが、この死への瞬間を看取る同室者、この一瞬だけは彼らのファミリーだったと信じているからだ。ここまで来ると、たとえ自分が感染していたとしても、もう誰も責める気にさえならない。感染しようがしまいが、この最後の瞬間、彼らと共にいれたことだけがすべてだ。開き直りの境地かもしれないし、そう感じないとやっていられないのかもしれない。私にとっては「Go To」、どこに行くか、何を食べるか、何をしてはいけないか、の日々ではない。毎日が生と死の境目、その先を見据え、超えていかなければ今日を生きていけないのだ。

*個人情報の都合上、登場人物や出来事は再構成されています。

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自殺願望とコロナ室 【アメリカのコロナ病棟から 関野和寛のゴッドブレス】第6回

関野和寛

関野和寛

せきの・かずひろ キリスト教会牧師(プロテスタント・ルター派)。東京生まれ。青山学院大学、日本ルーテル神学校を卒業後、香港ルーテル神学校牧会宣教博士課程で学ぶ。2006年から14年間、歌舞伎町の裏にある日本福音ルーテル東京教会の牧師として働く。教会の枠を超えて堅苦しいキリスト教の雰囲気を壊し、人々に日常の場で赦しや愛を伝えるためにあらゆる場所に出向き講演やロックライブをする。米ミネソタ州ミネアポリスのコロナ病棟での修業を経て、帰国後は在宅医療・ホスピスチャプレン、ルーテル津田沼教会牧師として働く。

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