絶望する人にどう語る? 佐竹十喜雄 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.絶望に打ちひしがれた人を前に、安易に希望を語ることがはばかれてしまいます。こんなとき、牧師はどう語るべきでしょうか?(40代・牧師)

絶望の中で悩んでいるその人をどれだけ理解しておられるかが分かりませんので、答えに窮しています。なにしろ絶望に至るにはさまざまな理由があり、絶望感の度合いもさまざまです。家族関係、職場での人間関係、病気、失恋、倒産、死別などが原因で絶望感に襲われ、生きていくのが辛い不安な日々を送り、ひどくなると心の病になってしまいます。「どう語るべきか」の前に、絶望に打ひしがれた人に愛の配慮をもって寄り添い、その人が抱えている悩みをとことん聴いてあげるべきではないでしょうか。

そのとき大切なことは、聞き手に徹することです。その人の悩みを共感・共有しているうちに信頼関係が生まれ、悩みの中身も明瞭になり、また願っていることや望んでいることも話してくれるかもしれません。そうすれば「語るべきこと」も明らかになってくるのではないでしょうか。

この度の大震災・大津波でも、被災者の皆さんは絶望のどん底へ突き落されたに違いありません。それなのに震災直後のインタビューで「何もかも失ってしまった。でも命だけは助かった。これで十分です」と語られた人がいて感動したのを覚えています。

しかし考えてみれば「これで十分」などはあり得ないことで、極限の絶望の中での発言であることに気付き自分の軽率さを恥じました。このような極限の絶望に対応できる言葉などありません。ただ一緒にいてあげることしかできません。

また避難生活が長引いたとき「何の見通しも立たず、これからの生活が心配で仕方がない」と避難者の方々が訴え出しました。これも絶望ですが、今国をあげて支援活動を続け、復興計画を実施しようとしていますので、年月はかかりますが「希望」が見えてくることは間違いないでしょう。

極限の絶望への答えは「あなたがたの内におられるキリスト、すなわち栄光の希望」(コロサイの信徒への手紙1章27節)にしか見出すことができないのではないでしょうか。

さたけ・ときお 1933年山形県生まれ。65年に開拓伝道を始め、日本バプテスト教会連合国分寺バプテスト教会牧師として30年間牧会に従事。その後、同教会の協力牧師となる。国内開拓伝道会(KDK)委員、聖書と精神医療研究会委理事、社会福祉法人いこい理事長を歴任。著書に『この岩の上に――開拓から百人教会へ』(いのちのことば社)。2019年、86歳で逝去。

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