数字の中の人生 川﨑正明 【夕暮れに、なお光あり】

改めて言うまでもないことだが、私たちは数字と共に生きている。例えば生年月日、年齢、住所、電話、時計、カレンダー、物価、給料、テストの点数、種々のカードの暗証番号等々、挙げればきりがない。車のナンバープレートには、「11-22」(いい夫婦)、「11-88」(いいパパ)「25-25」(にこにこ)など、所有者の思いが表れている。迷信と縁起を担ぐ数字もある。「4」は死に、「9」は苦につながるので、ホテルの部屋にその番号がない。私の亡姉は誕生日が昭和9年9月9日だったので、よく「三重苦」などと揶揄された。本人は気にしていなかったようだが、私は9が三つそろって「サンキュウ」だと言って笑っていた。年齢で言えば、日本人はその節目を「還暦」(60歳)「古希」(70歳)「喜寿」(77歳)「傘寿」(80歳)米寿(88歳)などと、数字で人生を刻む文化もある。

また、その象徴的な数字として「マイナンバー」(個人番号)がある。その普及率はまだ低いようだが、12桁の番号で国民総番号制に組み込まれ、「マイナンバー人間」になっている。私という人間が、数字で表現されることに抵抗があるが、それは社会に生きる自分のアイデンティティー(自己の存在根拠)とも言えよう。過日、久しぶりに故郷の実家に帰省した折に、昔家族が使っていた古い踏台を見つけ、その引き出しの中から私の「へその緒」が出てきた。それを包む和紙の表に「昭和拾貮年二月拾日朝七時半生 川﨑正明 牛年」と書かれていた。これこそ85年前にこの世に生を受けた私のアイデンティティ―である。

さらに、私の個人的なことで絶えず気にする数字がある。持病となっている糖尿病の検査結果である。ちなみに8月の数値は、血糖115、HbA1C(ヘモグロビンエーワンシー)6.4で、嬉しいセーフの数値だった。そして、もう一つ最近意識するのが「100」という数字。私はある雑誌(月刊)にエッセイを寄稿していて7年になる。このまま続ければ来年12月号で100回を迎えることになり、それが今は一つの目標になっている。1937年2月10日生まれの85歳、血糖値115の持病と向き合い、連載100回の執筆を目指にして頑張る、それが私の今の日常となっている。数字をめぐる人生模様は多様だが、それぞれにありのままの姿で、身も心も健やかに残された人生を生き抜きたいと願っている。

「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞与を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピの信徒への手紙3章14節)

 

かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。

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