1月5日 これは私の愛する子、わたしの心に適う者。 マタイ3章17節

イエスとはだれか

1月5日 これは私の愛する子、わたしの心に適う者。   マタイ3章17節(参照箇所同書3章13〜17節)  イエスは、自らが救い主であることを人々に告げるにあたって、わたしこそ神のひとり子であると自己宣言はされませんでした。通常の人間の常識では、自ら名乗り出なければ、どこのだれか分からないのですから、当然のこととして、自分から救い主であると名乗り出てもよかったはずです。彼は群衆の一人であり、その他大勢の一人としてこの地上においでになるのであります。救い主はそのようなかたちでいます、と神ご自身が宣言される、それがこの神の言葉にほかなりません。これはわたしたちの信仰告白の質を左右する重要な認識です。もしイエスが自己宣言として、この言葉を口にされたとすれば、ひとりの偉大な宗教指導者がこの地上で活動を開始した、という宗教的認識はあっても、究極絶対のお方である神が、この地上を働き場とされたとする福音信仰は生まれなかったでしょう。イエスは単なる一宗教的指導者ではないと聖書は、言いたいのです。神から遣わされた救い主が、この地上でその他大勢の一人としています、という意味なのです。救い主の働きを見ようとするなら、地上のことから目をそらしてはなりません。地上こそ救い主の働き場なのですから。

 






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