大西晴樹さん、キリスト教学校の過去・現在・未来を語る 連続講演会「近代日本とキリスト教」

 

「明治150年」の意味を問い直す連続講演会「近代日本とキリスト教」(主催:日本キリスト教文化協会)が7月30日から8月4日にかけて教文館ウェンライトホール(東京都中央区)で開催された。3日は、明治学院大学教授の大西晴樹(おおにし・はるき)さんが「近代日本と教育」と題して講演を行った。

大西晴樹さん=3日、教文館ウェンライトホール(東京都中央区)で

大西さんは1953年生まれ。明治学院大学学長、明治学院学院長を歴任。また、キリスト教学校教育同盟が創立100年を記念して刊行した『教育同盟百年史』の編纂委員長を務め、近代日本教育史においてキリスト教学校教育の果たした意義について指導的立場で研究を行っている。著書に『ヘボンさんと日本の開化』(NHK出版、2014年)、『キリスト教学校教育史話──宣教師の種蒔きから成長した教育共同体』(教文館、2015年)などがある。

明治以降、キリスト教が教育に果たしてきた役割を、次の5つの項目で語った。①宣教師の私塾時代、②戦前戦中のキリスト教学校、③戦後のキリスト教学校、④「キリスト教教育」論争史、⑤未来への模索。

日本のキリスト教学校は、開港と同時に来日した宣教師が開いた私塾が始まり。大隈重信(早稲田大学)や福澤諭吉(慶應義塾大学)も宣教師と会い、聖書などを教わっていた。その後、私塾は「学校」へと発展し、欧化主義の高揚とともに1870~80年代にかけて40校ものキリスト教学校が創立された。キリスト教学校は、男尊女卑の当時の日本で、女子に教育を開いたことでよく知られる。それだけでなく、上下関係、優越感と劣等感でしか考えられなかった日本人を解放したのだ。

しかし、1890年の教育勅語の発布は欧化主義の波を弱め、さらに内村鑑三不敬事件をはじめ、宗教教育を禁じる法令「文部省訓令第12号」の発令により、キリスト教学校は「冬の時代」を迎えることになる。特に戦中、神社参拝を受け入れたことは、日本のキリスト教にとっても心残りなことだと語った。

キリスト教学校教育同盟の前身である基督教教育同盟会が発足したのは1910年。戦後、発布された「文部省訓令第8号」により、私立学校においては宗教教育の自由が認められた。その後開かれた総会の中で、「神と人の前に拭うべからざる罪過を犯した」ことを告白し、「新日本建設に対する基督教教育の使命」を決議した。また、北米8宣教団体の協力により、国際基督教大学(ICU)が設立され、戦前のキリスト教連合大学運動が意図しないかたちで実現した。

戦後、海外宣教団体の支援が次々に打ち切られ、経営の主体がミッションでなくなったことにより、名称を「キリスト教学校(クリスチャン・スクール)」に改めることになる。1975年には「私立学校援助法」が成立し、「ミッション・スクール」から、公教育の一端を担う「キリスト教学校」となって現代に至る。

講演の後には質疑応答の時間も持たれ、来場者と活発に意見が交わさた=3日、教文館ウェンライトホール(東京都中央区)で

最後に、キリスト教学校の未来に向けて4つの提言を行った。

①エキュメニズムによる発展の追求。特にカトリック学校と協力することにより、学校数は2倍の567校、生徒・学生数は約1・4倍の50万529人となり、キリスト教学校が私学の中で強化される。

②異質なものとの共存、弱者への眼差し。阪神・淡路大震災以降、災害ボランティア活動が各大学で立ち上げられ、ネットワーク化されている。

③キリスト教教育存続の基盤である担い手の育成。

④組織改革の必要性。非キリスト者教員を含むキリスト教学校の組織論的理解の必要性と、新しい国家主義教育に対する取り組み。

講演会に参加したクリスチャンの女性は、次のように感想を語った。「妹がキリスト教学校に行っていたので、興味があって聞きに来ました。キリスト教学校の歴史を詳しく知ることができてよかったです」

 






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