【連載小説】月の都(48)下田ひとみ

 

予定日を過ぎても産まれないことは、教会でも話題になっていた。

「のんびりした赤ちゃんね」

「きっとお母さんのお腹の居心地がいいのよ」

「でも、あんまり大きくなると、産む時、大変よ」

「3人目だからって、安心できないわよ。出産は一人一人が命がけなんだから」

「そういえば、友樹君の時はすごい難産だったんだって」

「私も聞いたわ。母子とも無事だったのは奇跡みたいなことだったって」

このことを知った一人の婦人が、あることを提案した。

「赤ちゃんの無事誕生を願って、祈り会を始めましょうよ」

陶子の一件で教会の人々は深い傷を負った。その傷は癒されることなく、一人一人の心にさまざまなかたちで沈殿していた。もう悲しいことは起こってほしくない。それは全員の願いであった。

婦人たちの間で始まったこの祈り会は、またたくまに広がって、教会中を巻き込む連鎖祈祷へと発展していった。一人一人が時間を決めて祈りを受け持ち、1日24時間途切れることなく、祈りの鎖をつないで神に祈願をし続けたのである。

「真沙子先生の健康が支えられますように」

「元気なお子さんが無事に誕生しますように」

人々は心からの祈りを神にささげた。

そして、ついにその日がやってきた。

土曜日の午後──。

教会にはいつものように、明日の礼拝準備のために当番の奉仕者が集まっていた。それぞれが会堂の掃除や週報作りや礼拝後の昼食作りなどにいそしんでいる。

謙作は説教の準備のために朝からアパートの6畳間にこもっていた。真沙子は華を生ける当番だったこともあり、謙作の邪魔にならないように子供たちを連れて教会に来ていた。

真沙子が華を生けている間、友樹と翔は会堂の隅の子供コーナーでブロックで遊んでいた。

華を生け終わってあと片づけをしていた時、突然にそれが起こった。思わず「あっ!」っと声を上げてしまったので、みんながいっせいに真沙子を見た。

一同の注目を受けて、おそるおそる真沙子は白状した。

「破水……しちゃったみたい」

途端に人々が騒ぎ出した。

「真沙子先生、動かないで!」

「誰か車椅子持ってきて!」

「名倉先生に知らせなくちゃ……」

「車出せる人いる?」

破水をした場合は、入院の支度をして急いで来院するようにと言われていた。こういう場合に備えて、入院のための荷物一式はバッグに詰めて、アパートの下駄箱の脇に置いてあった。

知らせを受けた謙作がバッグを持ってアパートから駈(か)けてきた。

「名倉先生、車を前に回しておきました」

「友樹君と翔君のことは心配しないで」

「教会のことは大丈夫」

「あとのことは任せてください」

口々に告げる人たちに、謙作は「ありがとうございます」と言って頭を下げた。

謙作が車椅子を押して廊下に出ると、みんながエレベーターの前まで見送ってくれた。

「真沙子先生、がんばって!」

「祈ってますよ!」

全員が手を振って見送ってくれた。(つづく)

月の都(49)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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