12月13日「真理について証しをするため」

わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。(ヨハネによる福音書18章37節)

主イエスが今日の聖句を語った時、ピラトはからかい半分で「真理とは何か」と問うた。「真理なんて、そんなものはあるか」と腹の底であざ笑ったのである。しかも、彼は主イエスの無罪を知りながら、自己保身のために、十字架刑の判決を下した。この世の生活にどっぷりと漬かって、神と向き合わない人間は、真理をあざけるピラトと同じである。

主イエスは神の「真理」について証しをするために世に来た。その生涯の言葉と業は、神に逆らう人間を赦(ゆる)し、生かそうとする神の真実の証しである。神の御子(みこ)は神に逆らう人間をみ手に抱こうとして、抗(あらが)う人間の罪のために傷つき苦しまれた。主イエスの十字架はその苦しみの極みであった。神の御子は十字架の上で人々の罪のために傷つけられ、殺されながら、罪を犯す者の赦しを御父(おんちち)に祈り、その罪の裁きを引き受けて死んだ。父なる神はその死による贖(あがな)いを受け入れて、御子を死から復活させ、信じる者を救う主として立てた。まさに神は、主イエスの生涯、その十字架の死と復活において、人を罪の支配から神のみ手に取り戻そうとする神の真実を現された。

私たちに対してこのように真実である神がおられるとは、なんと心強いことであろう。試練の多い人生にあって、神に依り頼む者は幸いである。「アーメン。神は真実です」と告白し、神を信じて歩む者を、イエスは「真理に属する者である」と言ってくださる。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(Iテモテ2・4)

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

この記事もおすすめ