3月27日「神の恵みにより、義とされる」

ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマの信徒への手紙3章24節)

今日の聖句は、神に背いて罪を犯している私たちを、神がどのようにして義とされるのかを端的に語る。

第一に、神が世に遣わした御子イエス・キリストは、私たちと同じ姿となり、私たちの罪を負って十字架の裁きを受けてくださった。この「キリスト・イエスによる贖(あがな)いの業を通して」だけ、私たちは罪を赦(ゆる)されて、神の前に義とされる。

第二に、御子イエス・キリストによる罪の贖いによって私たちの罪を赦す神の恵みは、「無償で」である。私たちは何も払わないでよいのである。否、私たちには払えないのである。私たちが無償で神に義とされるのは、実に、御子の命がかかった「高価な恵み」である。

第三に、私たちを義とする神の恵みは、「イエス・キリストを信じることにより」(22節)、私たちの内に実現する。信仰とは、神が御子イエス・キリストによって成し遂げた救いを、ただ感謝して受け入れることである。神の救いはすべての者に及ぶが、信仰によって受け入れなければ、罪人を義とする神の恵みは私たちの内に実を結ばない。

神は御子イエス・キリストによって、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの」(イザヤ43・1)と神の愛を語ってくださった。もはや罪も死も、あらゆる苦難も、この神の愛から私たちを引き離すことはない。神に義とされ、愛されている私たちは、神の愛に応えて、精一杯、神の栄光のために生きることを心がける。神を礼拝し、み言葉に聞き、祈り、神に喜ばれる生活を確立してゆく。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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