尾崎豊が支払うのは窓ガラスとバイク代だけでは足りません。【聖書からよもやま話66】

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日もクリプレ(日刊キリスト新聞クリスチャンプレス)をご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、民数記の5章です。それではよろしくどうぞ。


◆民数記 5章7節

その人は償いとして総額を弁償し、それにその五分の一を加えて、償いの責めを果たすべき相手に支払わなければならない。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ここでは、人が人に対して何か悪いことをして、自分からその罪を悔いて告白する場合の規定が記されています。その場合、神様に罪を告白し、与えた被害総額に20%を加えた額を相手に支払わなければいけないと聖書には定められていました。10万円の自転車を壊してしまったら、10万円で弁償するだけでなく、慰謝料も含めて12万円支払わなければいけないということです。

この律法は現代の法律にも通じるところがあります。不法行為によって相手に損害を与えた場合、それに対する損害賠償は、単純な損害額だけに留まりません。「弁償すればいいんだろ!」と開き直ることは許されません。相手に被害を与えてしまった以上、聖書の時代でも現代でも、それだけでは済まないと、「法」によって規定されているんです。

夜の校舎で窓ガラスを壊して回ったら、窓ガラスを弁償して、さらに20%上乗せの額を払わなきゃいけないんです。きっと窓ガラスは学校や自治体が修理してくれて、本人には実費請求しかされなかったとは思いますが、本当はそれだけでは済まないんです。まぁ今の時代にはもう夜の校舎で窓ガラスを壊して回る15歳も、盗んだバイクで走り出す15歳もほとんどいなくなっているとは思いますが。

現代の法律で、損害賠償は大きく3つに分かれます。1つは「積極損害」これはわかりやすいです。壊してしまった物品の直接の弁償・修理費や、怪我をさせてしまった場合の治療費などです。2つめは「消極損害」これはたとえばその不法行為のために、被害者が仕事を休まなければならなくなった場合に失われる利益のことで、休業補償や逸失利益がこれにあたります。3つめが「精神的損害」で、いわゆる慰謝料というやつです。

このうち、前者2つは具体的な根拠を持って計算できますが、「精神的損害」は具体的な計算はできません。ですから「相場」やら何やら、なんとなく曖昧な材料で計算せざるを得ません。聖書にはこれを「具体的な被害額の20%」として明記してあるということです。

この民数記やレビ記は、細かい規定やルールばかりが並んでいるので聖書の中でも「退屈」と言われがちなパートなのですけど、法律に興味のある人が読むとこんな風に現代の法体系の原型が見られたりして面白いんです。これらの書がもしなかったら、現代の法体系はずいぶん違ったものになっていたかもしれません。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。


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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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