ぶどう酒は「飲み物」で「傷薬」で「胃薬」。人間も同じです。【聖書からよもやま話64】

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ルカの福音書の10章です。それではよろしくどうぞ。


◆ルカの福音書 10章34節

傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

現代の視点で見ると、オリーブ油って一般的には食用油ですし、ぶどう酒は飲み物です。でも、聖書の時代のそれらにはもっと色々な使い方がありました。

ここに記されている、「傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぐ」というのは、現代で言えば傷を「オキシドールで消毒し、オロナインを塗った」みたいな話ですが、ぶどう酒はお酒として飲む他に、このように消毒薬として使ったり、時には胃薬としても飲んだと、聖書には記されています。オリーブ油も食用にする他に、このように傷口の保護薬として使われたり、時にはヘアクリームやボディローションのような使われ方をしたりもしています。

オリーブオイルもぶどう酒も、昔は現代よりも幅広く活躍した「万能薬」だったんです。しかし、時代が進むに連れて、その万能性は忘れられていきました。

もしかしたら、人間も同じかもしれません。ぶどう酒が「飲み物」であり「消毒薬」であり「胃薬」であったように、人間も元々はたとえば「社会人」であり「家庭人」であり「趣味人」でもあるんです。しかし20世紀の社会では人間は「社会人」でさえあればよく、「家庭人」や「趣味人」である必要はない!とか、「家庭人」は「社会人」の世界には口を出すな!とか、人間のあり方を限定してきてしまったように思います。「一流のビジネスマン」であれば、「父」として欠けがあっても仕方ない、なんていう価値観は20世紀の日本、いや世界の流行だったかもしれません。

しかし、希望に思うことは21世紀に入って、再び人間のあり方が少しずつ広がっているということです。「一つのことに特化した歯車であるべし」という価値観から「人間はそれぞれが多種多様なあり方をする存在である」という価値観への転換が少しずつ起こり、「社会人」であると同時に「家庭人」や「趣味人」でもある、という生き方が広がってきました。それは「宗教人」でも同じことです。少し前までは「宗教人」は「世から離れた存在」でしたが、現代の「宗教人」の実像は、「宗教人」であると同時に「社会人」であり「家庭人」であり「趣味人」です。

自分は「〇〇人」だ!と決めつけてしまうことは、自分の可能性を狭めてしまいます。同じオリーブオイルでも、使う人が料理に使えば食品、薬に使えば薬です。同じ自分でも神様が何に用いるかで、あり方は変わりますし、「神様、自分はこういう使い方しかされたくありません!」と頑固になるのはもったいないことです。それはぶどう酒が「私は消毒薬とか胃薬なんかに使われたくありません!」というのと同じことです。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。


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