聖書がときどき退屈なのは、それがファンタジーではない証拠【聖書からよもやま話404】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、創世記の10章です。よろしくどうぞ。

 

創世記 10章32節

以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

この章は旧約聖書に多発する「ひたすら系図が書かれていて退屈な箇所」の一つです。1章丸ごとほぼ系図しか書いてないので、つい読み飛ばしてしまいがちな箇所です。ええ、僕だってこうやってこれについて文章を書く機会がなければ読み飛ばします。あるいは読みながら寝ます。

しかし、その系図を覚えるか覚えないかはまったく別問題として、この退屈な系図がしっかりと聖書に書いてあること自体が、とても大切なことです。それは聖書が人を楽しませるため、夢を与えるためのファンタジーではなく、事実に基づいた歴史書であることを教えてくれるからです。だってファンタジーなのだったら、こんな退屈な系図なんて書く必要はないですし、むしろ書いてはいけないんです。読者が離れますから。ミヒャエル・エンデの『モモ』や『はてしない物語』は僕も子どもの頃に大好きで何度も読みましたが、そこにこんな退屈な系図が書いてあったら僕はその場で本を閉じてしまったことでしょう。「もう寝なさい」と言われた後も、寝床の灯りでこっそりと読み耽ってページを捲ることに没頭するなんていう、あんな楽しいことは起こらなかったことでしょう。

さて、この章の最後に、もろもろの国民、つまりあらゆる国民が、ノアの子孫から分かれたのであると書いてあります。つまり聖書によれば、今生きている人類のすべての祖先はノアなんです。大洪水でノアとその一家以外はみんな死んでしまいましたから。そして、ノアはアダムの子孫です。つまり今生きている人間はみんなアダムの子孫です。
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創世記の最初について「追放されたカインは他の土地で他の人と結婚したと書いてある。これはアダムとその家族以外にも他に人がいたという証拠じゃないか。聖書は矛盾している!」と怒る人がいます。しかし聖書は「今」を生きる人間に対して書かれた本です。ノアの子孫である人間に対して書かれた本です。ですからアダム以外の系譜は書く必要がないんですし、「今生きている人間にとって」最初の人間がアダムであることに何の変わりもありません。カインも、カインが結婚した相手も、今生きている人間にはまったく関係のない人なんです。

聖書は、この退屈な系譜によって「君たちは間違いなくアダムの子孫なんだよ。ほらこの系譜をみたらどう考えたってそうしかならないでしょ?」と教えてくれているんです。つまりこの系譜によって、アダムとイブのエピソードも事実であってファンタジーではないということになるんです。

ファンタジーだって大切です。人の想像力を育てますし、何より楽しい。でもだからといってファンタジーばかりを読んで、歴史の教科書を読まないのでは困ります。ファンタジーと歴史を混同してしまっても困ります。それは明確に分けなければいけません。多くの人は聖書をファンタジーとして読むかもしれません。しかし、クリスチャン、特に僕の属する福音派と呼ばれるクリスチャンは聖書を明らかに歴史書として読んでいます。「そんなバカなことを・・・」と思う方が多々いらっしゃることは承知の上です。でもそれにはそれなりの根拠もありますし、少なくとも多くの方が思っているよりは、それは荒唐無稽な話ではないんです。

聖書が時々こうして恐ろしく退屈な箇所を含むこと。それはこれがファンタジーではない、一つの証拠とも言えるんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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