狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。(ルカによる福音書9章58節)
今日の聖句は、一人の人が主イエスに「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」(57節)と言った時、主イエスが答えた言葉である。病める者、悲しむ者を訪ねて巡り歩く人の子イエスに安住の地はない。しかも、神の国の福音を宣べ伝えて、罪の悔い改めを求める主を、人々は歓迎するとは限らない。弟子はこの主イエスに従って歩むのであるから、一時的な感激や決意では途中で挫折する。
従ってくるようにと主イエスに召された人が、「まず、父の葬りに行かせてください」と言うと、主は「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」(60節)と言った。肉親の葬りは大事な社会儀礼である。しかし、主イエスに従うことよりも、社会儀礼や慣習を優先する者は、弟子にふさわしくない。
また、別の人は「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください」と言うと、主イエスは彼に、「鋤(すき)に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」(62節)と言った。主に従い、伝道者として献身する場合に、家族の理解も必要である。しかし、この人の場合も、「まず」が問題である。家族に理解されなくても、主に従うという決心がなければ、主のためによく仕えることはできない。
主イエスの弟子たちは、主に従う途上で何度も挫折した。しかし、イエスの愛が、彼らに弟子としての生涯を全うさせたことを覚えて、弟子たちを決して見放さない主に従ってゆきたい。