7月30日「神の御心に適った悲しみ」

神の御心に適(かな)った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。(コリントの信徒への手紙二 7章10節)

 コリント教会の信徒たちは、パウロの手紙によって神の御心を知り、自分たちが犯した過ちを悲しみ、悔い改めた。パウロは彼らの悔い改めに導かれた悲しみを、「神の御心に適った悲しみ」であると言う。

 今日の聖句で、パウロは悲しみには「神の御心に適った悲しみ」と「この世の悲しみ」とがあると言う。「この世の悲しみ」は自分の犯した罪を後悔するが、罪を告白して赦(ゆる)しを乞うことをしない。自分を責めて自虐的になるか、時代や他者のせいにして自己正当化する。自分が犯した罪に気づいても、悔い改めに導かれない「この世の悲しみ」は、新しい歩みを生み出さないばかりか、死と滅びをもたらすのである

 「神の御心に適った悲しみ」とは、自分が犯した罪を神の前で悲しむことである。神に罪の赦(ゆる)しを願わないではおれない悲しみである。神は私たちが自分の罪を悲しみ、赦しを願う時、主イエスの十字架の恵みを注いで罪を赦してくださる。そして、まず私たちに神の和解を与え、そして他者との和解に導いてくださる。神の赦しの恵みが私たちのうちに「悔い改めを生じさせ」、自分が犯した罪をはっきりと告白させる。私たちが自分の罪を深い悲しみをもって告白する時、神は私たちを救い、新しい歩みへと踏み出させてくださる。私たちキリスト者は日々、み言葉の光に照らされ、神に罪を裁かれ、罪を赦されて、隣人に赦しを乞う者となり、また隣人を赦す者とされてゆく。神の和解は人と人とを和解へと導く道である。

 






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