「知っている」は「信じている」よりも強い 〜ラーメン屋をすすめるコツ〜【聖書からよもやま話249】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ヨハネの福音書の17章です。それではよろしくどうぞ。

◆ヨハネの福音書 17章25節

この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたが私を遣わされたことを知っています。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

イエス様が、弟子たちのために祈っています。そしてこの祈りは「彼らのことばによってわたしを信じる人々(20節)」つまり現代のクリスチャン、さらにはこれからクリスチャンになる人のための祈りでもあります。

イエス様はこの最後に「この人たちは『知っています』」と祈っています。「信じています」ではなく「知っています」と言っています。「信じる」と「知る」とは違う概念です。「信じる」というのは国語辞典によると「そのことが本当であると思う」という意味です。一方で「知る」というのは「事実を認識する・体験を通して物事を感じ取る」という意味です。

「信じる」は自分で体験していないことを「そうであると思う」に過ぎません。しかし「知る」は自分で体験したり知覚したりして「実際にそうである」と断定しています。つまり「知っている」は「信じている」よりも、強い確信を示しているんです。
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「このラーメン屋さんはおいしいと信じているよ」と言われたら「あ、この人は実際にここのラーメンを食べたことはないんだな。だから本当においしいかはわからないな」と思いますが、「このラーメン屋さんはおいしいと知っているよ」と言われたら「この人は実際にここのラーメンを食べた上でおいしいと言っているんだな。だからきっと本当においしいんだろうな」と思います。

慣用的に、ついクリスチャンも自分で「私は神様を信じている」と言ってしまいますが、そんなわけで実際は「私は神様を知っている」んです。イエス様が僕たちを救ってくれると「信じている」のではなく、「知っている」んです。「信じている」ことを誰かに信じさせるのは難しいものですが、「知っている」ことを誰かに知らせることは難しくありません。「信じさせる」のは難しくても「知らせる」ことは簡単です。「信仰」を広めるのは難しくても「事実」を広めるのは簡単です。そして僕たちクリスチャンが真に広めるべきは「信仰」ではなく「事実」です。イエス様の十字架によって救われたという事実こそが福音(Good News)なのであって、信仰が福音なのではありません。福音は「信仰」ではなく「事実」なんです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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