主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
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聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、サムエル記第一の30章です。よろしくどうぞ。
サムエル記第一 30章24節
戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ダビデがアマレク人と戦ったとき、ダビデが率いた兵は前線で実際にアマレク人を追って戦う部隊と、野営地に留まって荷物の晩をする、つまり兵站を確保する部隊に分かれました。戦いが終わってダビデ軍がアマレク人に勝ったとき、実際に戦った部隊の兵は兵站を確保していた隊の兵に言いました。「君たちは実際には戦っていないのだから、戦利品は僕達のものだよ。君たちにはわけてあげないよ。」しかし、それを聞いたダビデは言いました。「いやいや君たち、そんなことを言ってはいけない。前線で戦った人も、後衛で兵站確保をしていた人も、同じように戦利品を分け合わなくてはいけないよ。」そしてこれ以来、前線の兵士も後衛の兵士も、同じように戦利品を分け合うというのが長くイスラエルの国の伝統とされました。
現代でも、仕事の評価というのは難しいものです。
たとえば会社の営業部なら「新規顧客獲得件数」とか「売上高」とか、そういう数値で貢献度を測りやすいですから、「私はこれだけ会社に貢献したんですからもっと給料をください」と言いやすかったりしますが、経理部とか人事部ではそういったわかりやすい指標によって会社への貢献度が測りにくかったりします。
野球なら先発ピッチャーやクローザーなら勝利数やセーブ数という数字でチームへの貢献度がわかりやすいですが、中継ぎピッチャーの貢献度はわかりにくかったりします。それで実際に先発や抑えよりも中継ぎの年俸が低く抑えられがちなのが問題視されたりもしました。
ダビデはこのように、「わかりやすい」貢献をした人だけではなく、なかなか数字に現れない貢献についても、しっかりと報酬を与えるべきだと考えたんです。そしてこのエピソードは聖書でも肯定的に記されていますから、神様もそのように考えているということかと思います。
目立つ活躍をする人ばかりが評価されて、いわゆる縁の下の力持ちは評価されない、というような理不尽を社会や学校で感じたことのある方も多いかと思います。こんなに頑張ったのに、目立たないから評価されないし、そもそも目立っちゃいけない役割なのに・・・なんて。反対に、リーダーが目立たない働きにもちゃんと目を向けてくれて、しっかりとその功績を評価してくれるなら、そのチームや集団はとても強くなります。
僕はミュージシャン時代はベース弾きでしたから、バンドの中では縁の下の力持ちになりがちなポジションでした。ベースはボーカルやギターより目立たないし人気も出にくい。そもそもベースはボーカルやギターが最高に輝ける土台を整えることが仕事なのであって、自分が目立つことは二の次なわけです。それでも長く仕事として弾いていられたのは目立つボーカルも目立たないベースもみんなギャラは均等配分だったから、というのも大きな理由の一つであったかと思います。そもそも、目立つ人や人気のある人のギャラが高くなるからと言って、ベース弾きが派手で目立つプレイばかりをしたら音楽が崩壊してしまいます。ですからこの点で、僕は恵まれていたのかと思います。
現代社会を見渡してみますと、なんだか「目立ったもの勝ち」「アピールしたもの勝ち」な価値観に少しずつ流れているように思えます。だから誰もが「目立ちたい。目立たねば」と虎視眈々と「バズり」を狙ったり、なんなら「悪名は無名よりマシだ」と、迷惑系だとか誹謗中傷だとかをやったりもします。目立たない人こそがしっかりと評価され、しっかりと報酬を受け取ることができるようになれば、少なくとも現状よりは社会が平和になるように思います。反対に言えば、「目立った人が報われる」ような社会は非常に脆弱であり、チームとして、集団として危機に対して一丸となれない社会であるわけです。
・・・と、「地味な自分をもっと評価してくれ」と言ってもなかなか世の中は変わらないでしょうから、まずは自分が「目立たない」働きをしてくださる方々にしっかりと目を向けて感謝をせねばと思います。
主にありて。
MAROでした。
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