【映画評】 放蕩息子の行方は誰も知らない 『インフィニティ・プール』

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現代の『羅生門』

芥川龍之介の『羅生門』を連想した。作家の肩書きにしがみつく堕落寸前の主人公ジェームズが、羅生門の下でギリギリ良心にしがみつく下人と重なって見えた。結局一線を越えて堕落してしまうところまで似ている。富裕であれ貧困であれ、追い詰められた人間が下す(下さざるを得ない)決断は、時代も場所も越えて共通するのかもしれない。

ジェームズは2作目が書けない新人作家。6年経っても何も書けない。インスピレーションを求めて高級リゾート地に滞在しているが、おそらく書けないことは本人も妻も気付いている。しかしそれを口に出すこともできない。そんな不穏さと共に始まる本作は、ミア・ゴス演じるガビの登場でますます不穏になっていく。

ガビはジェームズを堕落へ誘う点で『羅生門』の老婆の役回りだ。同時にジェームズの秘めた欲望を見抜いてもいて、『笑ゥせぇるすまん』でいう喪黒福造の役どころも担う。本作はバッドエンドと解釈するのが一般的かもしれない。しかしジェームズは、落ち着くべきところに落ち着いたのではないだろうか。結局のところ彼は、小説など書きたくなかったように見える。

男性学の視点で見るなら、働かず妻に養われる状態のジェームズは、男性としてのアイデンティティ喪失の危機に直面していたかもしれない(それ自体が歪んだ男性性であるが)。屈強な体躯で悠々と過ごし、「男性かくあるべし」を体現して見せる反面、胸中で無能感と劣等感に苛まれていたとしても不思議でない。そんな時にガビと出会い、「死なない体」を手にし、男性として万能感に浸るのはさぞ「解放」だったのではないだろうか。もちろん妻との関係は何も変わらないし、彼が願う「強い男性」には結局なれないのだけれど。

ちなみにタイトルに使われている「インフィニティ・プール」は、海との境界が分からない、無限に広がって見えるプールのことだ。「どこまでが作り物か分からない(何が本物か分からない)」という、ジェームズが置かれた奇妙な状況の暗喩となっている。

放蕩息子と永遠のいのちと血による契約

本作は聖書を想起させるモチーフが多い。

ジェームズが期せずして得た「永遠のいのち」。キリスト教徒が神を信じることで得られるというそれは、本作ではまさに聖書の裏返しとして金の力で得る。永遠に生き続ける人間は一体どうなるのか。残念ながら聖書には記されていない。しかし、ジェームズがそれを擬似的に体現してみせる。すなわち何度死んでも「Continue」ボタンを押せばやり直せるテレビゲームのように、無謀な行動に走ってしまうのだ。相対的に「いのち」の価値が下がることになる。この現象を見て、「永遠のいのち」をそこまで神聖視するのもどうかと思ってしまった。

次に「血による契約」。旧約聖書の創世記15章に、アブラハムと神が契約を結ぶ場面がある。その夜、二つに裂かれた動物の間を神(と思われる存在)が通り過ぎ、アブラハムと契約を結ぶ。本作終盤にもこれとよく似た場面がある。殺された「動物」の血を使って、ガビとジェームズが何らかの契約を交わすシーン(その少し前に、ジェームズが幻覚の中で真っ二つに裂かれた「動物」のイメージを見ていることに注目)。

この後、迷いが消えて落ち着いたように見えるジェームズは、契約を経て「信仰の父」となっていくアブラハムのようでもある。ただし彼の契約が「祝福」だったかどうかは定かでない。

最後にジェームズの「放蕩息子」ぶりだ。妻の財産を食い潰しながら高級リゾート地で日々無為に過ごす姿は、ルカによる福音書15章の放蕩息子を思わせる。放蕩の限りを尽くした終盤、罠に嵌められたと気づいて我に返り、妻のもとに帰ろうとするあたりまで似ている。ただし、放蕩息子は無事に帰って父に許されるが、ジェームズは妻のもとにたどり着けない。『羅生門』の下人と同様、彼のその後は誰も知らない。

私たちは、放蕩息子のその後も知らない。彼は本当に改心して、家族のもとで再起を遂げたのだろうか。あるいは喉元過ぎれば何とやらで、また堕落してしまったのだろうか。もちろんたとえ話の人物なので実在しないのだが、気になるところだ。『羅生門』の結びの一節を借りるなら、放蕩息子の行方は誰も知らない、となる。

(ライター 河島文成)

4月5日(金)より新宿ピカデリー、池袋HUMAXシネマズ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー。

2023年/カナダ・クロアチア・ハンガリー合作/英語/118分/R18+/原題:Infinity Pool 日本語字幕:城誠子/配給:トランスフォーマー

公式X(旧Twitter):@infinitypool_jp
公式サイト: https://transformer.co.jp/m/infinitypool/

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