小さなことができれば大きなことは楽勝。【聖書からよもやま話305】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、ルカの福音書の16章です。よろしくどうぞ。

ルカの福音書 16章10節

最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

とても有名な聖句ですが、この聖句、実は僕はあんまり好きではありませんでした。それはこの聖句を引用して「大きなことをできないのは、小さなことができてないからだ!」とか「大きなことをできる私には、君のしている小さなことなんて楽勝なのだ!」のような、いわゆるマウンティングをするような方と、いくらか出会ってしまったことがあるからです。

しかしある時ちょっとよく考えてみました。この聖句は決して小さなことを「できる」とは言っていません。「できる・できない」ではなく「忠実・不忠実」の話をしています。では「忠実である」とはどういうことでしょう。

僕は「忠実である」とは「感謝すること」ではないかと思いました。時代劇なんかによく出てくる「忠義者」というのは、ほぼ必ず主君に対して感謝の念を強く抱いています。恩義を感じてそれに感謝し、その結果として「忠実である」という姿勢が出て来ます。感謝なしに忠実であることは人間にとって難しいことです。感謝なしに、いやいや忠実であろうとすれば、いつか必ず破綻します。忠実であることに感謝は不可欠です。

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UnsplashWilhelm Gunkelが撮影した写真

と、いうことは、この聖句は「小さなことに感謝する人は大きなことにも感謝し、小さなことに感謝しない人は大きなことにも感謝しない」と読み替えることができます。そうしてみると、僕はすっかりこの聖句に対する苦手意識がなくなりました。いきなり何かに忠実であろうと無理をするのではなく、感謝ポイントを探すことが、無理なく忠実であるコツなのかと思います。

毎日の食事に感謝できる人は、時々食べることのできるごちそうにも感謝します。ごちそうに感謝できない人は、毎日の食事にも感謝できません。こう考えると、「小さなことに感謝できる人は、大きなことに感謝するのは楽勝!」ということになります。つまり小さなことをちゃんとできる人には、大きなことは楽勝なんです。

大きなことを成し遂げるには、小さなことに感謝することがまず第一歩。小さな一つ一つに感謝できれば、大きなことは楽勝なんです。そう考えると心が楽になりませんか?

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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