わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは、羊のために命を捨てる。
(ヨハネによる福音書10章11節)
パレスチナの厳しい荒野で、弱い動物と言われる羊がよく生きることができるのは、いつも羊に付き添っている羊飼いがいるからである。
今日の聖句のように、主イエスはご自分を羊飼いに譬(たと)えて、「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」と言い、それはご自分に与えられた「父から受けた掟(おきて)である」(18節)と言う。主イエスが十字架で命を捨てるのは、父なる神の意思であると言われたのである。なぜ主イエスの死が神の意思なのか。
神は人を「神と向き合う者」として創造し、歩むべき掟(おきて)[十戒]を人に示した。しかし、人は神に背を向け、神が求める道を踏みはずして罪を犯している。神はイスラエルの預言者たちを通して、罪を憎む神の義と、罪を悔い改める者には赦(ゆる)しを与える神の慈しみを語り続けた。神は義なる方であるが、人が罪によって滅びるのを望まないのである。
神は人を救うために、その罪を自らが引き受ける決意をされた。これが義と愛の両方を貫く神の意志であり、計画である。神は預言者たちを通して神の意志と計画を示し、時が満ちたとき、御子(みこ)イエスを世に遣わされた。御子イエスは父なる神の意志と計画に従い、人の罪とその裁きをご自分の身に引き受け、命を捨てて罪の贖(あがな)いとなられた。
罪の贖いなしに、神と共にある永遠の命はない。しかし、罪の贖いのために、神の御子イエスが命を捨ててくださったので、私たちは命を得たのである。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(10節)。