東京ユニオンチャーチ150周年記念 『沈黙』スコセッシ監督がオンライン対談「神の愛は1000年後も変わらない」

 映画『沈黙 サイレンス』のマーティン・スコセッシ監督がオンラインで登壇するトークイベント「聖と俗のはざまで」が4月2日、東京ユニオンチャーチ(東京都渋谷区)で行われ、YouTubeでも配信された。教会の創立150周年を記念して行われたもの。

 東京ユニオンチャーチ牧師のスティーブ・ヤマグチ氏、『沈黙 サイレンス』『ゴースト・イン・ザ・シェル』などの制作に携わった映画プロデューサー、三谷匠衡(かねひら)氏が聞き手を務め、映画史を築き上げてきた巨匠の仕事と信仰についてひも解いた。以下、スコセッシ監督の発言部分を抜粋して紹介する。

私は1942年に生まれ、南イタリアからアメリカへ移住しました。アメリカにはイタリア人のコミュニティが存在し、同じイタリアの人たちが住んでいました。毎日食事をするのがやっとで、みんなたいへんな時代でした。イタリアの文化と自由なアメリカの新しい文化の間で衝突がありました。イタリアは犯罪が多かったので、安全と平和は教会にしかなかったのです。

実は神様のことは家族より、通っていたカトリック学校で覚えました。11歳の時に出会った若い神父さんが、私に本を読め、勉強をしろ、古いイタリアの文化に従わなくてもよいとアドバイスをくれ、多大な影響を受けました。ホームレスの人々が道端で死んでいくような過酷な環境で育ちましたが、喧嘩や死といった危険から自分を守ることができました。

ですから、理屈に合って、論理的に正しいと感じたのは教会でした。喘息があったためスポーツはできませんでしたが、自分を守るために頭を使い、危険を予知するようになりました。私もいずれは彼のような神父になりたいと思っていましたが、神学校に行ったところ、「君はここにいない方が良いだろう」と言われ、別の道が与えられました。その後、ニューヨークで独立系の映画を作るようになりました。私は神父になる道を断念し、違う方法で神様を伝えることにしました。

ある時、神父から「君もぜひこの本を読んでみるといい」と言って、遠藤周作の『沈黙』をもらいました。その後、1989年に日本に来ていた私は、黒澤明監督の『夢』で画家のフィンセント・ファン・ゴッホ役を演じている時に『沈黙』を読み、これは必ず映画化しなければならないと思いました。1年以内に映画の権利を手に入れましたが、なぜか作ることができませんでした。

その後、約15年間の時を経て、ようやく作ることができるようになりました。長い間作りたかったのですが、私自身も探求を続けていたため、完成までに時間がかかりました。神父から『沈黙』をいただいた日から、私はイエス・キリストを深く探求することができました。『沈黙』の公開後、多くの方々からコメントをいただきましたが、アリ・アスター監督からは「ユダの人物像を最もよく描いた」と言われました。

昨年、私は80歳になりました。評論家によるランキングでは、私の作った25本の作品のうち、1位が『沈黙』という結果に驚きました。このテーマは何度も繰り返し話し合える内容で、永遠のテーマです。あのような映画は他に類がありません。

私の映画は、時に「暴力的すぎる」と批判されますが、暴力がコミュニケーションの一部である環境で育った私にとって、暴力は私の成長過程の一部でとても大事な要素です。映画での暴力は正直に見せるべきであり、真実に近い形で演じるべきだと思います。人口的な暴力は「絵、または演技」として描かれることができますが、私は正直に見せたいのです。若いころは暴力をどう扱っていいか分からず、本当はよくないと分かっていながら、どこか暴力を好む人間性がありますよね。自分の中の真実を見つめたいと思います。

神様は私たちに愛と赦しを与えたいと思いますが、人間は自分を赦せず、自分を責めることがあります。ある日、パーティーに行った時、メキシコ人から「私の文化では暴力は遊びではなく、真面目で大事なこと」と言われました。それを重く受け止めました。

神様の愛は変わりません。それは真実です。人類がいろいろなことを分かったとしても、1000年後も神様の愛は変わりません。ニューヨークでは今、危険な状況にあります。病院で働く人々は本当にたいへんで、ただその場にいて、人々の嘆きを聞きながら、沈黙をもって掃除するしかないと聞きました。病気に苦しむ人たちを見ると、何を言ったらいいのか分からないという人もいますが、ただその場にいるだけでいい。神様の愛を一緒に無言で感じてもいい。そうやって神様を見つけることがよいのではないでしょうか。

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