【映画評】 最果ての彼女たち 『17歳の瞳に映る世界』『海辺の彼女たち』

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17歳の少女がみる世界は、大人の瞳にうつるそれとは違う。主人公オータムと従姉妹のスカイラーは、慣れない大都市ニューヨークを2人だけで生きのびようとする。映画はたった2日間だけを描く。しかしずっと田舎町で暮らしてきた、いまや周囲の誰にも打ち明けられない秘密を分かち合う2人には、地下鉄駅の仕組みさえ難解な都会で夜を明かすことが、酸素の薄い惑星の果てで息するほど孤立した試みに感じられる。

わけも知らず生れてきた子どもにとって家や街はあらかじめそこにあるものだし、出来事も社会のルールも向こうからやってくる。それらを受け入れるという選択もまた自らのものだと認めることは、大人へなりゆく階段の大事な一ステップだ。初めての異性との出逢いもまた多くの場合、家族や友人がそうであるようにただ与えられる。しかしオータムは予期しない妊娠によって唐突に、いくつものステップを省かれ強烈な自己決定を迫られる。両親の同意がない中絶手術を禁止する地元ペンシルバニアから、従姉妹である親友スカイラーを伴いニューヨークへと旅立つのだ。

“Never Rarely Sometimes Always”

そうして少女たちの旅路を描く『17歳の瞳に映る世界』の原題 “Never Rarely Sometimes Always”は、性体験をめぐるソーシャルワーカーの質問に対する回答の選択肢 “まったくない/ほとんどない/時々ある/常にある”に由来する。生理不順や性交渉の頻度をめぐる問いはやがて、望まない性行為や、近親者に強要された経験といった深刻なそれへと転調する。次第に答えられなくなり涙を滲(にじ)ませるオータムを促すため、ソーシャルワーカーの女性は質問に次いで回答の選択肢をくり返し唱え続ける。「まったくない、ほとんどない、時々ある、常にある」と。淡々としたその口調は、全編にわたる静謐(せいひつ)で慎重な演出のトーンと重なり、抑えの利いた本作の基調となる。

“Along the Sea”

望まない妊娠、を包摂しきれない社会システム。この観点からは、ベトナム人技能実習生を主人公とする『海辺の彼女たち』の抑制的な描写もまた、『17歳の瞳に映る世界』に通じるものを感じさせ興味深い。制度の実態を声高には訴えず状況を質実にすくいとる『海辺の彼女たち』の丹念な演出は、終盤における主人公の重い決断を音もなく際立たせる。

彼女たちの隠れ住む場に雪国の港町を選んだ藤元明緒監督が前作『僕の帰る場所』で扱ったのはミャンマー人の移民家庭であり、『17歳の瞳に映る世界』監督エリザ・ヒットマンは同性愛を主題に前作『ブルックリンの片隅で』を撮っている。少数者の立場に置かれた人々の微細な表情変化に着目する両監督が、共にその新作では主人公を妊娠させた相手を明示はせず、疎外された社会環境との交接に焦点化した。

無責任な特定の男個人の問題へと帰する社会の無責任。セクハラであれ聖職者の性暴力であれ、無意識の性差別を誘発する構造への自省を欠いた批判が虚しく響く理由をも、そうして両作は暗示する。苦境にあって、そばに寄り添うことを選び続ける従姉妹のスカイラーや実習生の親友たち。“先進国”の一見充実した諸制度がいまだ超えられない力を放つ彼女たちの煌めきは極めてあり難く、ゆえに切ない。

(ライター 藤本徹)

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『17歳の瞳に映る世界』 “Never Rarely Sometimes Always”
公式サイト:https://17hitomi-movie.jp/
7月16日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

『海辺の彼女たち』 “Along the Sea”
公式サイト:https://umikano.com/
全国順次公開中

関連過去記事(『海辺の彼女たち』の藤元明緒監督前作『僕の帰る場所』)

【映画評】 『僕の帰る場所』 異境としての日本の孤独 2018年10月3日

 






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