聖書の適切な理解のために 誤った「絶対化」から解放される手助け 『ここが変わった!「聖書協会共同訳」 新約編』

世界で最も読まれている本、聖書。しかし新約聖書文書はどれ一つとして原本が残されておらず、数多くの写本が存在するだけ。写本を比較すると、語順や言葉遣いなど細かな差異が見られ、研究者たちはオリジナル・テクストを確定する作業「本文批評」(ほんもんひひょう)から始めなければならない。

2018年12月に刊行された『聖書 聖書協会共同訳』は「31年ぶり、ゼロから翻訳」がキャッチコピーだが、素人目にはどこがどう変わったか分かりにくい。また、変わった点に気づいたとしても、それがどうしてなのか知る機会が少ない。本書では、「NTJ新約聖書注解」の監修者6人が、従来の「新共同訳」、「新改訳2017」などと比較して、どこが新しくなったのか、それはどういう意味を持っているのかに焦点を当て執筆。代表的な31項目を挙げて、「聖書協会共同訳」の特徴が把握できるよう解説されている。

例えば、「新共同訳」ではイエスを「罪を償う供え物」と表現している(ローマの信徒への手紙3章)が、「聖書協会共同訳」ではこれを「贖いの座」と訳している。同じくローマの信徒への手紙5章の有名な聖句「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(新共同訳)の「練達」を、「聖書協会共同訳」は「品格」へと変化させている。暗誦した語句が変わるのは影響が小さくない。できれば避けたいところだが、新しく変わるというならその意味を知りたい。

「使徒たちの中で目立って」いる「ユニア」という女性がいたことを初めて知る人も多いことだろう。「大正改訳」以来、ずっと「ユニアス」(男性の名)と訳されてきた誤りが、「聖書協会共同訳」でようやく「ユニア」(女性の名)に正されたことは大きな意味がある。これまで「使徒に女性がいるはずがない」という偏見に縛られてきたのが、解放されたことを示すからだ。

旧約にヘブライ語で「ツァラアト」、新約にはギリシア語で「レプラ」と書かれたハンセン病に対し、「規定の病」という訳語があてられたことは議論を呼んでいる。聖書の背景である古代社会では、「聖」と「汚れ」の観念が強く、「汚れ」との接触を恐れ、避けていた。イエスはこの「汚れた者」と見なされていた患者に触れて癒し、聖なる力が広がっていくことを表した。

聖書の世界にこのような過酷な差別があり、イエスが忌避されていた患者に接触していったことを記憶にとどめるべきだという意見もあれば、この「汚れ」というレッテルがハンセン病回復者とその家族の心を傷つけるという見解もある。これまで翻訳聖書で使われてきた訳語をたどりながら、考える機会を持ちたい。

「新共同訳」で「不自然な肉の欲の満足を追い求めた」、「岩波訳」では「[同性の]異なる肉[体]を追い求めた」と敷衍して訳され、「男同士の同性愛と考えられている」という訳註まで付けられているユダの手紙7節も注意深くみる必要がある。「聖書協会共同訳」ではこれを「異なる肉の欲を追い求めた」とし、「の欲」の部分は補足であると欄外に書かれている。

この箇所は「明治元訳」で「男色を行ふにより」と訳されてから、同性との性交を意味するという考え方が支配していた。だが、「新共同訳」が「不自然な」と訳出した部分は原本にはなく「異なる肉」と書かれているだけだ。「異なる肉」とは他人の肉体を指すと考えられ、「不自然な」「同性愛」であるとする根拠はどこにもない。「聖書協会共同訳」において、このような同性愛差別に基づいた誤訳を修正したことは画期的と言えよう。

聖書は「神の言葉」だが、限界と誤りを抱えた人間によって記され、さまざまな写本から底本が作り上げられ、数多くの検討を加えながら翻訳され、今日まで伝えられてきた。聖書の誤った「絶対化」から解き放たれる時、より適切な理解へと駆り立てられるのではないかと、共著者は述べる。

31年ぶりにリニューアルした聖書。「本文批評」から社会背景、言葉の吟味まで、聖書研究のエッセンスに触れて、聖書の対する理解もより新しくレベルアップしたい。「旧約編」の刊行も待たれる。

『ここが変わった!「聖書協会共同訳」 新約編』
浅野淳博、伊藤寿泰、須藤伊知郎、辻学、中野実、廣石望
【1,320円(本体1,200円+税)】
【日本キリスト教団出版局】978-4818410787

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